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富士山、霊峰、やっぱり美しい
これは、朝日が当たって、ピンクに染まった富士さんなんだけど、やっぱり美しい。
標高3776m、中学校の頃に覚えた記憶だけどね…
そう語呂合わせで、ミナナロウ、年表などもそうやって覚えたの(笑い)
この写真は、熱海のタウン誌の取材で行って撮ったものだから、相当古いが、コンピュータのデータ、整理しておこうかなと思ってガチャガやっていたら出てきたの。
富士山には、「カイ(甲斐)で見るよりスルガ(駿河)いい」という言葉があるんだけれど、これは、駿河方面から見た富士山。
真ん中が窪んでいるのですぐ分る。
この窪みは、宝永大噴火の時にできたものらしい。
宝永大噴火(ほうえいだいふんか)は、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火で、富士山の噴火としては最も新しいものとか。
ところで、富士山って、いつ頃できた山、気になったので調べてみた。
富士山の紀元は、70万年から20万年前らしい。
そして、現在の富士山の活動が始まったのは、約1万年前といわれている。
どのようにして現在の形になったのかについて次のような説明が。
「富士山は、火山で何度も噴火しており、それ以前に噴火活動した小御岳火山や古富士火山を覆うように多量の溶岩を流した。その溶岩が、粘性の低い玄武岩質の溶岩だったため山体の末端まで流れ、現在のコニーデ(円すい)型に近い富士山が形つくられた」と。
そしてその後も、
「400―500年ごとに大きな噴火を繰り返し、直近の噴火が1707(宝永4)年に静岡県側で宝永大噴火で、この時、宝永山(大きな窪みの近く)と3つの火口をつくった」と。
霊峰、まさにまさにまさにである
70万年前、とか、1万年前とか言われても、ヘーというしかないんだけどね(笑い)人類が出現するはるか先から、あそこに、あの形をした美しい山があったのは確かで、言うならば、私たちは、遠い遠い、はるかに遠い古代の遺産をライブで見ているのである。
そう考えると、「富士信仰」とか、頷けるよねぇ…
以前、やっぱり早朝に、車を走らせていて、熱海付近で夜が明けてきた。その時見た富士はまさに奇跡の富士だった。
朝陽でピンクに染まった富士、右には満月は、感動して撮った写真
その時の様子を再現すると、
漆黒の闇が次第に明るくなって、紫色の空の中に、真っ白い富士山が姿を現した。
見れば右の方に満月が…
「ウワッ キレイ、これは撮らなければ」と思ったが、ここは高速道路、
「どうしよう」と思っている間に、海からの朝陽が当たって、美しいピンクの富士に…
これはもう、撮るしかないね。
車にはハッセルが積んである。
「これはもう、罰金覚悟でいくしかないな」
そう思って車を止めたところ、後続の車も同じように止まって、
「これは撮らなければね」
大勢が車から出てきて口々にそういいながら
「皆で撮れば怖くない」
なんていいながら、無心でシャッターを切ったのを思い出した。
その写真は僕のブログ「撮って書いてワヤで笑える人生日記」の扉に使っているので、よかったら見て下さい。
自分でいうのもなんだが、あれはまさに奇跡の写真。
晴れて、満月で、海から上がってくる朝陽がなければ撮れない写真、
二度と再び撮ることはできない貴重な写真と僕は思っているのである。
その写真、畳一枚位の大きさにしたパネルが、どこかの家に飾られているはず…
「あの写真欲しんだけど」
知り合いを通して言ってきたので、
プリント(アルミのパネルに焼いてもらった)ので、えらく高いものになったが、それでもいいというので、作った記憶があるから…
そういう注文が来ると嬉しいよねぇ、
(金に糸目はつけないから)だもんね…
そういうの、何点かあるけど、忘れられないね…