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よく撮れたよねぇ、自分でも驚いている。
もちろん、飛んでいるのが撮りたくて、意識を持ってカメラを向けたんだけど、確実にこんなの撮れるスキル(腕)は僕にはない。
タイミングが良かったんだね、
アッと思った瞬間にシャッターを切っていたの。
それしか覚えてない。
しかし、瞬間、正面から飛んでくる姿が大きく見え、鮮明にその姿がなぜか記憶の中に残っているの。
だが、無心だった…
「どうだろうか…」
モニターを見る。
オッ捉えてる。
ピントは、
画面を拡大して目を見る。
きてる。
凄い、自分でも驚いている。
偶然の写真だけど、凄いね…
もう一度撮れと言われたら、もう撮れないね(笑い)
もしかしてこれもセレンデピティー
まさに、まさに、まさに、出会いとタイミングだね。
こういう場面によく出会うというのは、もしかして僕にはセレンディピティー能力があるのかもね。
今さら「セレンディピティー」、説明する必要もないと思うが、簡単に言えば、「偶然を発露する力」かな。
そういうのが、僕の細胞の中にあるのかもなんてね…(笑い)
だって、これまでに出した写真詩集「沙漠の木」にしろ「野生の大自然パンタナール」(共に愛育社)もそうだけど、僕が意識して企画したわけではなく、たまたま偶然に沙漠やアマゾン・パンタナールに行くことになって撮った写真でつくったものだもの。
愛育社での出版を決めてくれたのは友達で、これも僕が頼んだわけではなく、友達が勝手にやってくれたことだった。
もう、随分昔のことで記憶が薄れているけれど、確かⅠ月か2月の夜だった。
9時は過ぎてたな。
事務所で仕事をしてたら友達(この人も出版社の社長だったのだけど)から電話がきて(この頃はまだ携帯電話なかった)
「これから行っていいか」と。
ウンと言ったのだが、いつもとちょっと違う雰囲気の電話だった。
それから約20分程して彼は来た。
少し酔っているのが分かった。
来ると、ビールの入った袋をテーブルの上に出して
「オイ、乾杯」といきなり。
訳がわからずに、OH、そう言って缶と缶を合わせた瞬間に、
「写真集、決めてきたぞ」と彼
「なんの」と僕
「沙漠に決まってるだろう」と偉そうに、
「何、ちょっと待て、話がよく分らんけれど、写真集にする程、写真持ってないよ」
「貰ってたポストカードを見せたら、やろうということになったの」
「エー だって写真ないし…」
「無かったら撮りに行けよ、写真集出したいんだろう」
「そりゃそうだけど、今は雪で行けないよ」
そう言うと、
「じゃぁ、春になってから行けよ」
なんだか狐につままれたような話だけど、僕の一冊目の写真詩集「沙漠の木」(詩 高橋順子)はこうして生まれたのだった。
二冊目の「野生の大自然パンタナール」は、「世界一木を植えた男」といわれた横浜国大の名誉教授、宮脇昭先生に誘われてのことだった。
ここにもいろんな物語があるのだけれど、長くなるので、それはまたの機会に。
ことほど左様に、こうして、事実を並べていくと、それはまさに偶然で、導かれて僕はそこに行ったということになるのである。
これこそまさに、セレンデピティではないか。
今となっては、貴重な紙の本。
出してて良かったと、つくづく思うのである。
そして、偶然というのは、大きな力と僕は感じているのである。
もしかして、写真を撮って歩いているのが、野性的感性をつくっているのかもね…