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廃墟の庭に立派なミカンが、思わずスマホで
青空にミカン、いいなと思って眺めていたら見知らぬ女性が
「気をつけないと、時々ミカンが降ってくるの…」
わざわざ立ち止まって教えてくれた。
門があって、立派な家なのに、廃墟となっているらしい。
庭には草が茫々と生えていた。
スマホで写真を撮りながら、哀れの象徴、つい岡山の家(母の実家)が思い出された
僕の育った岡山(母の実家)にはミカンはなかったが、廃墟と化した立派な家を見て、つい思い出してしまった。
主はなくても、育てていた果実は、季節がくれば、タワワに実をつける。
しかし、元気な家の庭に成る果実や花と違って、どこかに哀れさを漂わせる、その風情が不思議でならない…
そんなことを思いながら、スマホで撮った写真
写真には、撮りての心模様が写ると僕は思っているのだ
心にそんな思いをいだきながら撮った写真だからか、どことなく、なんとなく寂しさを漂わせているように見えるのは、気のせいだろうか…?
イヤ違う、やっぱり写真には、撮りてのその時々の感情、心模様が写るんだと、思っているのだ…
だから、ただ撮った写真と心に何か感じるものがあって写した写真では、同じ被写体であっても、全然違うと僕は思っているのである。
しかし、残念ながら、それを証明するだけのロジックは持っていない(笑い)
でも、でも、でも…
そう思っている方が写真が楽しくなってくるし、被写体に対して、思い入れができるのである。
写真、画面に物語を、それをいつも意識して撮っているんだけどね…
キレイな写真、上手い写真で感動させる写真も素晴らしいが、そういう思いを持って撮る写真もまた楽しい…
僕は特に、その中に物語がある写真が好きなのである