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夕暮れの海の印象、撮影したのは葉山だったと思う。
最近、喉の筋肉が弱くなったのか、水とか飲むと気管に入って咳き込むことが多くなったので、
知り合いが行っている地域の合唱クラブに入れてもらって、毎週金曜日、歌を歌いに行っているのだけれど、
そこにいるのは、ほとんど同年代の人。
選ぶ歌も、だいたい似通っていて、
昔あった「歌声喫茶」で歌っていたものが多いの。
一月には発表会もあって、先週は、何を歌うかを決めるのをやったんだけれど、
その時候補に上がって、何回か歌ったのが、「遠くへ行きたい」(作詞永六輔)だった。
いいね、この歌、旅心を誘うよね
「知らないまちをあるいてみたい…」
「知らない海をながめていたい…」
「どこか遠くへ行きたい…」と歌っていたら、放浪している、そんな映像が脳裏に浮んで、
「葉山で撮ったあの写真があったな」というのを思い出して、出してみたの。
「海の印象」というタイトルをつけているんだけれど、夕暮れの海っていいよね…(思い込みの世界)
ながめていると、これまでに経験したいろんなシーンが思い出される…
光る波、シルエットの船…
単純に空と海だけの風景なんだけれど、無駄なものが何も映ってないから、より深く、内面にいるもう一人の自分と対話できるのである。
こいう心境にいる時には、
何を写したというのがハッキリしない、抽象的な写真の方がいいよね…
だって具体的に何を撮ったというのが限定されると、想像力が働かなくなるもの…
じっくり見るには、抽象的写真(僕の場合はコンテンポラリフォトグラフィー)がいいよね
夜、シャッターを押しても何も写らないという状況の中で、車のヘッドライトでパット浮かび上がってきた人物とか、
「これはいったいなんだ」という写真なんだけど、どことなく、なんとなく、画面が整っていて、吸い込まれるというか、何かを訴えてくるというか、そういう写真が僕は好きなの。
話変わって昨日、10冊売れた
いつも行く喫茶店で、その話をしてたら、顔なじみの人が、そんな本があるなんてなぜ言わなかったのと。
その人は本好きの人で、
僕が写真を撮り、エピローグを書いている「宇宙の渚で生きる」(海象社)を隅から隅まで読んで、
「あれは素晴らしい」と絶賛してくれているの、
で、その女性、読書会というのをやっていて、そこには何人かのメンバーがいるらしいのだが、昨日、売れたという本を読んで、気に入れば読書会で紹介したいと、さらに、もしみんなが希望すれば、来て、喋ってくれるかというので、喜んでといって帰り、
注文のあった本を届けた帰り、さてどうしようかと思っていたら、アドバイス契約をした出版社の社長から電話があり、少しの時間会って、お喋りを。
物つくりはやっぱりスピリチュアルだよねぇ、この言葉が心に響いた
「本づくりはやっぱり、スピリチュアルだよねぇ、スキルだけ求めてもダメなんだよねぇ、なかなかそれが理解されないと…」
社長が言った、その言葉が心に響いた
僕もそう思う、
絵でも写真でも語りでも、大事なのはスキルではなくて魂、やっぱりそこにつきると思う。
「小器用にまとめたものなんて、なんの魅力もないものねぇ」
そういうと、まさにまさにと意気投合。
「しかし社長、これはお互い、金のないものの僻みかもね…」
そういうと、アハハと。
歳は取っていてもやっぱりアツイ…
こういう人好きだな僕は…
そんなこんなでこのところ、本当に楽しい。
アドセンス、銀行振り込みの手続きがまだ完了してないよ、早急にというお知らせがきた。
手続きどうするんだっけ、忘れてしまった…大変だ(笑い)