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昨日 神代植物園のバラ園で
この時期 バラは当然咲いていない
でも、
立ち枯れしたバラが沢山あって、
時に思いがけないものを見せてくれるの…
パッと見た時
これは修行僧
例えば「役行者」(えんの行者)
修験道の開祖として山伏たちに崇められている人物(白鳳時代)
が高い所で修行している姿…
そう思って撮ったのだが、
コンピュータの大型画面に出して見ると、
クマが何かの弾みで高い所に上がって
動きがとれなくなって困っている様子
僕には そんな風に見えたので、
そう思うことにした…
こんな経験は僕にもいろいろある
おだてられ調子に乗って
「よっしゃ」
と勢いよく上ったのはいいが梯子外されて…
「ああ これで人生終わったな」
という経験が何度も
しかし僕は、
もともと雑草だから
しぶとくて忍耐強くて
芯が強かったから
どんな時でも諦めないで、
傷だらけになってもという精神があったから
逃げないで、
なんとか着地する場所を見つけて
そうすると
いつの間にか運気が変わってピンチがチャンスに変わったりりしてね…
ハハハ…
僕の人生まさに「シーシュポスの神話」(カミュ)そのものだった
懸命になって山に登ったと思ったら
ダダダダダーンと転げ落ちて
気がつくとスタート地点よりもさらにさらに後ろに下がっているの…
そんな繰り返しばかり…(笑い)
「しかしアンタは不思議よね、転ぶ度に何か掴んでいる」
とよく姉が言っていた
今思えば 僕が量子力学に傾倒したのも、
そういう人生があったからかもしれない
そして、
そういう人生を繰り返して来て
大切と思ったのは精神力(思いの力)だったのである。
高齢になってくると、
占い(未来の予測)よりも結果から人生と辿るのが楽しくなるのだけれど、
それぞれのシチュエーションでまさにまさにまさに…
何度も目を瞑る瞬間はあったのだけれど、
「ああ あれでよかったんだ
あれがあったから今があるんだ」
と思えるようになって、
「そうか人生は悩み苦しみもいっぱいあったが
結論から言えば
なんとかなる
なるようにしかならない」
だったと…
そして気が付けば大体
「自分が思い描いた設計図に近いところにいる」
ということが分かったのである。
それは
「癒しの朗読屋」
アリアさんの
「山本周五郎」
の中にも何度も出て来る…
面白いね
年齢的に人生が終わった段階で
そんな悟りが来るなんて…
今日も愉し
明日も愉し…
自然はいろんな形で忘れていた大切なものを思いださせてくれ
気づかせてくれる…
撮って書くことの楽しさはそこにあると僕は思っているのである