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白いハイビスカス、沖縄返還前の与論島で見たのが初めてだった

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白いハイビスカスの思い出

美しいね。清楚だね。
僕がこの花を初めて見たのは、今から約50年前。
与論島でだった。

沖縄返還前の与論島。
当時は、飛行場はなく、確か、西鹿児島駅から船で、徳之島、沖永良部島を経由して与論島に入った。

沖縄返還を目前にして、一番乗りを目指すヒッピーが大勢いた。

沖縄返還が昭和47年。
僕が行ったのは、昭和46年。
11月なのに海で泳いだのでよく覚えている。

まるでお餅を置いたような、小さな島与論島

沖縄の手前に浮かぶ、お餅を浮かべたような島(岡山のお餅は丸餅なの)与論島。
周囲28キロの何にもない島だったが、
沖縄が返還されたら、刳舟(くりふね、丸木舟)で、沖縄に上陸するというヒッピーがたくさんいたのが記憶に残っている。

ヒッピーとは、

1960年代後半にアメリカ合衆国に登場した文化で、既成社会への不満(疑問)を持つ若者が集まって、
それまでの価値観を見直して自由を求めたカウンターカルチャー運動(文化)で、日本でも、流行していた。

多分、この年代のコマーシャルだったと思うが、今も記憶に

長髪、Tシャツ、ブルージーンズというのが、最も流行した時代で、そのスタイルこそ、まさに、自由の表現だった。

ガス欠の、ワーゲン(てんとう虫だったかな)を数人の若者が押しながら山道を登っていく映像とともに流れた歌、
「のんびり行こうよ俺たちは…」
というテレビコマーシャル、そんな絵も同時に思い出された。

その与論島に咲いていたのが、ハイビスカスで、
「これは、一日だけの花なの」
と、ニコヤカな笑顔で教えてくれた、美しいお姉さん。

今も記憶に残る南国に咲く美しい花

「ハナカラムーユイ」(私はあなたを愛しています)
「ヤーナー」(さようなら)
そのお姉さんに教わった現地語、なぜか今も覚えているのである。

そうそう、そのお姉さんの長い髪に飾られていたのが、白いハイビスカスだった…

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もしかしたら
僕の内なる世界には、
女性的感覚があるのかも知れないね…
そう言えば僕は
若い頃
襟の大きなオープンシャツにピンクのパンタロン
ロングヘヤーでヒールの高い靴
(当時流行していたの
)を履いてね…
ある時その恰好で田舎(岡山)に帰ったら
「マァ マーマーチャン(僕は小さい頃からマー坊と呼ばれていたの)
女の人かと思ったがぁ…」
近所の
出会ったおばさんたちが驚きながらそういったのを今も覚えている
話しかたも、
今いうところのオネエ言葉寄りだったし…ね
今の僕からは想像できないけれど、
やっぱりコアの部分には、
今もそういう感覚があるのだと思う
でもね
僕は思うんだけど、
やっぱりねぇ
美しいものに反応するのは
女性的感覚だと思うんだよねぇ…
もしかしたら、
意識的にそういうスタイルにしていたのが、
いつの間にか浸み込んでそうなったのかも知れないけれど、
男の中にある女性的雰囲気、
僕は好きなのである…(笑い)