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スマホで撮影白椿、夏に咲く白い椿は沙羅双樹とも呼ばれるが

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春に咲く白い椿、お風呂屋のお爺さんが育てた盆栽。

撮ったのはいいが、さて、何を書くか(笑い)
夏に咲く白い椿は沙羅双樹と言われるんだけどね、白い椿と沙羅双樹は何ら関係ないというのは、前に調べた記憶がある。
随分前だったから記憶が曖昧なんだけれど、
一度だけ、新宿御苑の温室で沙羅双樹の花を見たの。
その花の姿形はまったく違うものだった。
その時に調べたのだが、
遣唐使として中国に行った僧侶が、
「沙羅双樹とはどんな花」と尋ねられて
「白い椿を指してあれだよ」といったことから、夏に咲く白い椿を、
「沙羅双樹」言うようになったという記憶がある。
しかし、実際は沙羅の木の花で、白い椿とは全く別物、

沙羅双樹、調べて見ると、

沙羅の木は双樹ではないらしい。
では、なぜ沙羅双樹、
それは、お釈迦様が旅の途中で最期を迎えるときに横たわった場所に2本の対(つい)になった沙羅の木(サラノキ)があったかららしい。

沙羅双樹というネーミングを有名にしたのは滅びゆく美学を謳った平家物語

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ」という滅びゆく者の美学を綴った平家物語。

琵琶でこのフレーズ何回も聞いた(別にそういう趣味はないのだけれど、取材では、それいやだとは言えないし…)

しかし、しかし、しかし…
本物の沙羅の木についた花を見た時には、
「見なければよかった」と思う程、イメージとはかけ離れたものだった。
だから今でも、夏に咲く白い椿を見ると、つい
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色…」
というのが、口をついて出るのである。
で、夏に咲く白い椿が「沙羅双樹の花」といわれるのならば、春に咲く白い椿はなんていうの」と調べてみたが、それは出てこなかった。

写真の椿は多分藪椿

開花時期は2月~4月。
日本を原産とする椿はほとんどがこのヤブツバキらしい。
ヤブ椿は、日本最古の観賞用の植物という記録があるらしい。
江戸時代は茶花として広く普及したらしいが、首からポトンと落ちる椿は、武士は敬遠した(嫌った)らしい…

花も調べてみると、いろいろあるねぇ…

白椿、凛として襟を正している、そんな花の姿がいいねぇ…
僕は猫背で姿勢が悪いから、よけいにそう感じるのかも知れない…
それにしてもスマホ楽しいね、
「おじさんこの花、キレイだねぇ、写真撮っていい」
そう声をかけるだけで、誰とでも気軽にしゃべれる(笑い)
いつもはただお金のやりとりをするだけの不愛想なおじさんなのに、
そうやって写真を撮っていると、ニコヤカな笑顔で迎えてくれるようになった。
スマホカメラ、コミュニケーションツールとしても重宝している(笑い)

 

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