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ポピーというと、爽やかに感じるけれど、もの語りを知ると、なる程と、つい思ってしまう。
この花を有名にしたのは夏目漱石。
そう、「虞美人草」という本で。
なんの本で読んだか忘れたが、小説は書き上げたが、本のタイトルをどうするかで、漱石は悩んでいた。
ある時、書き上げた原稿を風呂敷に包み歩いていたら、花屋の前にさしかかった、
真っ赤な個性のある花が目に飛び込んできた。
「この花、なんていう名前」
漱石は尋ねた
「これは、虞美人草」
「個性的な花だね」
「なんでも、虞という美しい女性の流した血で咲いた花と言われています」
そう言われれば、漱石はすぐ分かった、で、持っていた小説のタイトルを「虞美人草」としたというはなし。
虞とは、始皇帝亡き後、覇権を争った「項羽と劉邦」の項羽の妾のこと
世界の3美人に加えられる程の美人だったみたい。
「項羽と劉邦」は何度も読んだが、何度よんでも面白い。
100戦して99勝一敗の項羽と99敗一勝の劉邦、天下をとったのは、劉邦だった。
その一勝が、垓下の戦い、
四面楚歌で有名な戦いで、この一勝で劉邦は天下人になるのである。
分らないね、人生は…
後にこれが、三国志演義へとつながっていくのだが、壮大で実に面白い。
しかし、あの戦い、
「四面楚歌」といいながら、実際には、楚の兵隊はそんなにはいなかったらしい。
舞台裏をのぞいてみれば、
牛を沢山調達し、松明を牛の角につけて走らせてから、皆で大声で楚の歌を歌ったらしい。
当時は兵隊は寄せ集めだから、項羽の軍隊にも楚の国出身の兵隊は大勢いる、
歌を聞くと、祖国のことが思いだされ、戦意を喪失してししまったと。
つまり、トリックと心理で負けた項羽だったのである。
で、最後の最後
死ぬのは構わないが、虞を道連れにするわけにはいかないということで発したのが、この言葉
力山を抜き気は世を蓋ふ
時利あらず騅逝かず
騅の逝かざる奈何せん
虞や虞や若を奈何せん
という言葉だったのである。
虞よ、俺には山を抜き、世を覆いつくす程の気力はあるが、
馬が動いてくれないことにはどうにもならん。
すでに四面は楚の兵隊に囲まれている。
どうか、ここから逃げてくれと
このやりとりはジーンとくる
それを聞いて虞はいった。
大王のおおせの通りにいたします。
でも女の姿では逃げられません。どうぞ、大王の服と太刀をお貸しください。
そう言って服と太刀を受け取った瞬間だった。
大王の意気尽きたれば,賤妾(せんしょう)なんぞ生をやすんぜん
そう言って、首に刃を。
虞美人草は、その血で咲いた花と言われているのだ。
このシーン、思いだすだけで、興奮する。
こういう本、だんだん少なくなっているのは気のせいだろうか…
こういう物語りを知っていると、写真の撮り方も変わってくるよね。