essei flower photo

写真を愉しむ 明日から春よと告げる節分花 

投稿日:

節分
年に4回訪れる一年の始まり(立春、立夏、立秋、立冬)のこと。それがいつしか「立春」の前日のみを節分というようになったのだという書き込みが
そして節分草は、その頃咲くから節分草。
しかし575にしようと思うと、「節分草」では一字余ってしまうから「節分花(か)」にしたのだが、調べてみるとなぜか「節分草」の俳句が多い。
これは許されるのか、納得できない
 
花と草」なにがちがうの
ついでだから、「草」と「花」なにが違うの
調べてみると
次のような記述が
本植物(樹木・本)は地上部が多年生存して来り返し開花・結実し,二次組織は肥大成長する植物と定義される.
これに対し草本植物は地上部の生存期間は短く,ふつう一年内に開花・結実して枯死し,二次組織は化せず,肥大成長しない植物とされる. しかし,
実際には本と草本を明確に区別することはむずかしいこともある」
読んでもよくわからない。
それなら、「草」「花」どちらを使ってもいいんだよね
そして俳句だって、文字数に固執するのではなく、リズムがそうなっていればいいのではと、つい思ってしまう
本当はだから今回も
「明日から春よと告げる節分草」と気持ちとしてはいきたいのだけれど、あえて「花(か)」と、
しかしやっぱり「節分草」の方が落ち着くよね…
そんなことを考えるのが、また楽しい…

明日から春よと告げる節分草 
 
 

-essei, flower, photo

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

「福寿草」 幸福の「福」と長寿の「寿」からつけられた名前らしい 

高齢になると、やっぱり考えるよ、美学として
70歳を超えると、身の周りのものは整理して身軽になっておかなければ━と、考えるのだけれど、本なんか、一旦捨てたのにまた増えてきている、困ったもんだ…
覚悟、悟り、やっぱり難しい…
今日はちょっと寝すぎてしまった上に、コンピュータの動きが悪くて時間ばかりが過ぎていくので、このへんにしとこう、
しかししかししかし…
どこかでやっぱり自分と折り合いをつけて、無駄なものは極力削いでおかなければならないのは確かである

スマホカメラを愉しむ 宇宙と交信して咲く花スイレン そんなイメージが常にあるのだけれど

僕には、
この花、宇宙から何かの指令を受けて咲いている花
そのように思えてならないのである
たぶん花の形がアンテナのようで、
真ん中の黄色い部分が、ピカピカ光って、
もっか交信中そんなように感じているのだ
ちょっと神秘的な花で見るとつい撮ってしまう
否 
撮らされてしまう美しさ…
水の妖精というに相応しい
そんな気がする

スマホで撮影 レンズの汚れがつくった幻想的雰囲気

写真に「かくあるべき」という定石(概念)はいらない
写真というと、
なぜか皆
「かくあるべき」という概念のようなものを持っていて、
その概念に近づけて撮る方法をハウツーとして書いているのだけれど
「プロの写真のように」とか「こうすれば…」ということを書いた指導書が多いのだけれど、
表現の世界に、
そんな概念(いい写真という基準)はないと僕は思っているのである。

スマホカメラを愉しむ 夕暮れに白く輝く八重の花 梔子の甘く酸っぱい香り愛し

楽しいね日本語
その一言で、
世界がまったく違ってくるのだものねぇ…
スマホカメラって本当に楽しい
これこそまさに愉しみの世界と僕は思ったのだった

写真を愉しむ 美しいねぇ羽を広げたヒヨドリさん まるで羽衣

人生って、本当に本当に素晴らしい…
仙人になってよかったとつくづく思うこの頃である