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そうか、もうポインセチアの季節なんだ。
11月の風景と12月の風景では、俄然、雰囲気が変わるのが面白いね。
だって、12月になると、どこのショウウインドーもみんなクリスマスだもの。
ところで、クリスマスというと、なぜポンセチアなの
フと、思ったので調べてみた。
理由は幾つかあるが、なる程とうなづけるのは、
花言葉に「聖夜」という意味があるからというもの。
もっとも、この花言葉というの、誰がつけたのか、よく分らないのだけれど…
もう一つ、ポインセチアはメキシコ原産で
「ノーチェ・ブエナ(聖夜)」と呼ばれていることと言うのと、花の形が「ベツレヘムの星」を想像できることからクリスマスに使われるようになったというのがあった。
※ヘツレヘムの星とは、クリスマスの星のことで、
「東方の三賢者」にキリストの誕生を知らせ、ヘツレヘムに導いた、キリスト教徒にとっての宗教的な星であるらしい。
このへんが、納得できる答えかな。
ところで、なんで日本でクリスマス…という疑問があったので、それもついでに
クリスマスは、キリストの誕生を祝う降誕祭。
日本で最初にこのミサをしたのは、山口県の宣教師たち(1552年)。
日本人信徒を招いて、キリストの降誕祭のミサをしたと。
しかし、
江戸時代に入るとキリスト教弾圧があって、クリスマスというイベントはなくなっていた。のだが、明治時代に改めてクリスマス文化が到来し、生活に取り入れられたと。
その仕掛人は、俳人の正岡子規だといわれているらしい。
1892(明治25)年、子規25歳の句に
「臘八(ろうはち)の あとにかしまし くりすます」というのがある。
臘八という厳粛な仏教の行事の後にやかましいクリスマスがやってくるという意味の句。
それが、4年後には、
「八人の子どもむつましクリスマス」という句を作っている。
ここではクリスマスをほほえましい行事として捉えてるのである。
そして、この句によって、
5音の「クリスマス」が、カタカナの季語として使われた第1号になったという記述もあった。
一般にクリスマスを広めたのは明治屋
1900(明治33)年には、横浜で創業した明治屋が銀座に出店しクリスマス向け商品を販売している。
これによって、、クリスマスというムーブメントができ、
1912(大正元)年
「明治屋の クリスマス飾り 灯ともりて煌(きらびやか)なり 粉雪降り出づ」という歌を、木下利玄(りげん)という人が作っており、華やかなイルミネーションが、街を彩ってる様子がうかがえる。
そして、
1926(大正15)年の12月25日に大正天皇が崩御。
後にこの日が大正天皇祭(休日)と定められたことが、クリスマスを習慣化し、普及する機会とったらしい。
1927(昭和2)年から1947(昭和22)年までの21年間は、クリスマスは休日だった。
1950(昭和25)年頃、戦後のベビーブームで、子どもの数が爆発的に増加。
クリスマスにケーキの習慣をつくったのは不二家
この頃、不二家が日本独特のクリスマスケーキをつくり、これがきっかけとなって、デパートのクリスマス商戦が過熱するようになったというのが、日本のクリスマスの歴史。
やっぱりね…なのだが、もはや、そんなことはどうでもよくて、誰がなんといっても、今や12月はクリスマスであり、ポインセチアなのだ(笑い)
だから僕も、ポインセチアの写真なのだ(笑い)