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なんとなく、なんとなく、なんとなくで撮らされた写真。
何か、感じたんだろうねぇ…
だけどそれが何なのかよく分からないのだけれど…
でも、こうしてキチンと仕上げすると、OHと思う。
そういう感覚って、一体、何なんだろうね…
「一体、何を言ってんだ、お前、大丈夫か」
「だよね、だって、僕も何を言っているのか、何がいいたいのか分からないのだから(笑い)」
でも、何かがはあるんだ、心の底の底に…
だけど、捕まえられないから困っているのだ…
実はこの写真、
深大寺植物園の裏というか、植物園が休園だったので、あてもなく歩いていて遭遇した風景なんだけど、気になってシャッターをきったの。
写真をじっと見ていると、
「お地蔵さんが行列して、こちらに来ている」
こちらと言うのは、深大寺がある方向で、もう目と鼻の先。
「そうか、お正月だから、来たんだねきっと」
そう考えると、なんとなく納得できる、そのように思うのである。
明日はお正月で新年なのだ。
アラマァー で、調べると、来年は丑年、
エッ ということは、僕は年男。
なんと、6回転、
昔で言えば長寿じゃん。
振り返ってみれば、
いい人生だったと自分では思うが…(まだ終わってはないけど笑い)
「…」
そんなことを考えていたら、賑やかだった、子供の頃の正月が思いだされた。
懐かしいねぇ、12月31日大晦日、そして正月、親戚が皆あつまって、叔父貴の友達などもいっぱい来て、俄かに宴会が始まるの。
こうなると、居間では間に合わなくなるから、座敷の襖をパット開けて大宴会。
歌あり踊りあり、みんな遊び人ばっかり…
そして興がのると爺さん(母の父)も、ズボンを裏返しに履きなおして、日本手ぬぐいでほっかむりをしてどじょうすくいだ。
今思うと、あの腰つき、相当場数を踏んでなければできない踊りだったなと(笑い)…
そして、誰かが、即興で上の句を詠む。
それに対して、用意された紙にそれぞれが下の句をつけ、その下の句を誰が詠んだかを当てっこする、そんな遊びなども記憶に残っている。
だから、正月というのは、楽しいものだという風に思っていたのだけれど、僕が大人になるにつれて、だんだんとそういう遊びがなくなっていった。
なぜなんだろう…
理由はやっぱり、家を支える大黒柱の存在、爺さん、それほどは大きな存在だったと、つくづく思う。
そんなことを思い出しながら、一人部屋に籠って、暇つぶしに、こうしてブログを書いている…
何とも寂しい大晦日だな━と、思うと、懐かしさと寂しさが混同して、涙がポロリと流れてしまった。
父親を早くに亡くして、母親の実家で僕は育ったのだけれど、
「あの家で大きくなって良かった」と、姉に言うと、
「私もそう思う」と。
その家も、平地にするらしい。
淋しいね…
淋しいけれど仕方がないね…
僕たちの家ではないけれど、あの家があったから…という、いろんな思いでのつまった家…
そういうことを意識しながら撮ってまとめた写真エッセイ集、
「ノスタルジックジャーニー」(電子書籍)が年明けには発刊できるという知らせが「まめしば書房」さんから来た。
この本は、僕にとってはかけがえのないもの。
こうして本にしておけば、記録として残るから…
出来上がりを楽しみにしているのである。