discover essei photo

栗飯に 舌鼓打つ 夜の秋 風流だね ハハハ 思い込みの世界だけど… 

投稿日:

栗 だれもが一番に考えるのが栗ご飯だよね

季節を味わう
旬を愉しむ
やっぱり料理は風情だよね…(勝手の決めつけ)
でもやっぱり誰もが簡単に
その季節 空気感を善の中に取り入れて
ゆったりと味わう日本の料理文化は、
まさにまさにまさに
知恵、感性の凝縮と僕は思っているのである

核家族以前の文化の名残か

団塊世代の僕らの時代は、
爺さん婆さんがいて、
必ず季節には、
季節の料理が食卓に並べられていたから
いつの間にか 
それが感覚として染みついたんだね…

尤も子供の頃には
「なんだよ茄子かよ ステーキにしてよ」
(心の中の声)
なんて思っていたけれど
あれがよかったんだと
今になってつくづく思う
自然の中でのそういう生活がなかったら
「エッ秋 そう言われればそうだねなんてね…」
なんの感慨もない感性になっていたかも知れないものね…

昔の文化の尻尾を引きずっている僕は 栗を見ればやっぱり栗ご飯

かくして僕は
細々ながら、
最後の最後の最後のそいう感性を受け継いでいるから
栗を見ればやっぱり栗ご飯食べるよね…
そう
友達の奥さんが春の筍についで秋の栗を沢山送ってくれたの。
それを昨日
一日かけて処理して
栗ご飯つくったのだが、

やっぱりいいね 栗ご飯

ご飯の甘さと栗の甘さが口の中で見事に融合して
[ああ」と思わず。
栗ご飯と言っても僕の作り方は特殊で
レンチンで簡単ににつくる栗ご飯んなんだけど
とっても美味しい

作り方

ボールにご飯を入れ(お冷でもいい)
酒少々
ミリン少々
醤油少々
(昨日は塩がいいかと思って塩にしたのだけれど
やっぱり醤油がいいみたい
ウンなんていうかコクがねぇ…
醤油は出汁が効いてるからねぇ)

 

食べて思ったことは、
酢橘を入れるといいかもということだった

栗飯に

舌鼓打つ

夜の

秋風流だね ハハハ思い込みの世界だけど…

栗 いっぱい冷凍しているから今日また挑戦しよう

でもでもでも、
やっぱり美味しかった。
料理
やっぱり楽しいよね
多少見てくれ悪くても、
プロのものとは一味違う好みのものが食べられる
だから料理は
究極の遊びだね…

栗飯に
舌鼓打つ
夜の秋
それにつけても
一人は侘し

 

-discover, essei, photo

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連記事

スマホカメラを愉しむ 写真はコツで上手くなるをさりげなく 茶とあんでのイベント告知がアップされた

写真は引き算なの…
絵画は足し算だけど写真は引き算なの
だから、余分なものはドンドン省いて
本当に撮りたいものを写すの
そうしたらほら
こんなになったら素敵でしょう…なんてね…
こんな調子でドンドン質問も受けててね
知っていることは答えるという形で
お喋りを楽しみながらの楽しい教室になったらいいなと
コーヒーを飲みながら考えてるの…

望遠レンズを愉しむ 春の歌声 春はもうとっくに過ぎたけど

全てが
即興
思いつきで

ちょっと安易過ぎてるよね…
もう少し
考えるとか
捻るとかすれば
さらに楽しくなるんだろうけれどねぇ
それができないのが僕なのである…

コンテンポラリフォトグラフィー、懐かしいね、今から50年位前か

時代的にはベトナム戦争があって、反戦歌、フォークソングが流行していた頃だった
映画でも、ヌーベルバーグという、フランスで始まった映画運動(新しい波)、例えば35ミリのアリフレックスを手持ちで廻すとかね、写真のコンテンポラリーフオトグラフィーと同じような表現手法が流行していたの。
面白い時代だったねぇ、
若かったし、熱かったし、よく行く喫茶店なんかで、しょっちゅう芸術談義してたよ…
あの雰囲気、好きだったな…

ダリア 「ペチカ」、なんか仄々するねぇ、心まで暖まってきそう

正月なんか、何所帯もが集まっているところに、
叔父や兄、それぞれの人の友達が来るから、もう、そりゃ、大変で、毎日がパーティーだった…
懐かしいねぇ…
ああいう、団欒、コミュニケーションはもう、ないものねぇ…
やっぱりいいよね、ああいうの…
そういうことを思いながら撮ったのだけど、どうだろうか…
「ペチカ燃えろよ、楽しいペチカ…」

スマホで撮影、クササンタンカ、リズムがあっていいよね、楽しそう

撮影する時意識していることは…
意識しているのは常に宇宙観(感)、アナザーワールド、物語が感じられる写真…そう、もうひとつの何か、サムシンエルスを求めているんだけどね、なかなか難しい…

広告


 

名前:クボッチ

写真好き トレンドを中心に書いていきます