久しぶりに感じた、心の交流
昨日、知り合いを尋ねたら、
「あら、いいところに来たわ、これ持って帰って」
そう言って、大きな桃を2ついただいた。
どうやら、今、届いたばかりというところだったらしい。
説明を聞いて
「ラッキー」
そう言って喜ぶと
「本当、タイミングよね」
アハハハ…」
「ありがとうございます」
そう言って、用事を済ませて帰ったのだが、
その会話の中には心の交流があって、なんていうのかな、
温かさ、そう、ほのぼのとした心地良い心の温かさも同時にいただいた、そんな気がして、久々、ホッとさせてもらった。
心の交流、もしかしたらそんな言葉も死語になりつつかも
最近、特に感じるのだが、
時代とともにこういう心の交流が薄れていっていると思っていた矢先だったから…
インターネット上でのやりとり、そりゃ確かに便利がいいよ。
コロナの関係で、オンライン会議とか、そういうコミニケーションがもてはやされているが、本当にそんなのでいいのかねぇ。
フェイスツーフェイスが常識の社会で生きてきた僕たちには、理解できないものがある。
だって電話ですら込み入った話になると
まるで、昔、映画で見たような、そんな時代になっているんだ
「やっぱり合わなきゃダメだな、これから行くわ」
というように、最後はやっぱり顔を合わせて話をしてたんだもの…
昔見た映画で、人間はカプセルの中に入って皆寝ているのだけれど、脳は活発に動いていて、場面では、現実と同じようにドラマが展開されてるの。なんて言ったかなぁ、マイノリティ、メイトリックスだったかなぁ、そんな映画がふっと思い出された。
まぁ、僕の時代は、今までの生き方でも、なんとかやっていけるとは思うけれど、すでに限界がきているのは、身をもって感じる。
人間がまるでAIに思えてしまった
昨日、お墓の掃除の継続契約のお金を郵便局で振り込もうと思って行ったら、
「スミマセンお客さん、郵便局の窓口は4時までなんですよ」
時計を見ると、時計の針は4時を2、3分回っていた。
「ダメですか」
「ダメです」
それが民間企業のサービスかと思ったが、ダメと言われりゃしょうがない。
昔は、郵便局(民間企業ではない)でも、
「本当はダメなんですけどね、次からは気をつけてくださいね」
そう言って、ちゃんとやってくれたんだけれどね…
こういうのにも、やっぱり慣れていかなきゃダメなんだよね。