discover essei

天空の山城の「備中松山城」と高梁の街を観光

投稿日:

目次

高梁と言えば、雲海の中に浮かぶ「天空の城」のイメージがすっかり定着。しかし、見所は城だけではない…

この街には特別な趣がある。いうならば、文学の街…
実は僕も雲海の中の天守閣の写真を狙って行ったのだが、電車、降りるのを忘れて無駄な時間を…
で、お城についた時には雲海はなく(笑い)
でも、お城はいいのが撮れたよ。
お城だけで、キャノンのフォトアルバム(100ページ)作ったもの。

天空の山城、備中松山城は天守の現存する中で、最も高いところにある山城で、標高430メートル。

この城は、籠城を想定してつくられた城で、築いたのは三浦一族の秋庭重信。築城は1240年(鎌倉時代)
実はこの城、1689年に家督を継いだ水谷勝美は、若くして死去。その後、後継ぎがなく、1693年に断絶となるのだが、

松山城 お家断絶、この城を無血開城させたのが、なんと、赤穂の大石内蔵助だった。

大石内蔵助、
言わずとしれた「忠臣蔵」のヒーロー。
忠臣蔵の始まりは、殿中松の廊下での事件で、赤穂の城は断絶されるのだが、その時、大石が、無血で城を明け渡したのは、すでにこの時(松山城無血開城)から始まっていたシンクロニシティーと考えると、とても興味深い。

高梁の街は、この城(松山城)の藩士で幕末から明治にかけて活躍した漢学者、山田方谷や弟子の三島中洲(二松学舎をつくった人)などによってつくられた街だから、趣が、ちょっと違うのである。

高梁の街は一言で言うならば、文学的。
街全体にピーンと張りつめた空気感があって、スッキリとしていて、格調高い趣があるのだ。

以前より、行きたい行きたいと思いながら、なかなか行けず、数年前にやっと行ったのだが、岡山にはこんな素敵な街があったんだと、改めて思わされた、高橋とは、そんな街だった。

革靴で山(臥牛山)を下りるとさすがにきいた。

城(松山城)のある臥牛山(がぎゅうさん)を、革靴で下りたら、腰が砕けてしまって、しばらく真っすぐ歩けない状態だったのだけれど、それでも、散策しているとつい
「知らない街を歩いてみたい どこか遠くにいきたい」という歌が口からこぼれた。

暫く言ってないね、旅行…
コロナのワクチンも打ったことだし…
どこかに行きたいね、そろそろ…
そう、「どこか遠くへ」を歌いながら…

-discover, essei

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

写真を愉しむ 古いフイルムの中を旅する万里の長城 延長は6、259、6キロメートルとか

凄いねぇ、中国の歴史がいかに、戦いの歴史だったか…だよね
その戦いの歴史 物語り
項羽と劉邦とか、三国志とか、僕はそれにはまって、
四面楚歌とか泣いて馬謖を切るろか、虞美人草とかの話を知ったんだけど、三国志の赤壁など、知恵の闘い…
司馬遼太郎 吉川英治読ませるよねぇ…
万里の長城の写真を見ていると、ついそんなことまで思い出してしまった

スマホカメラを愉しむ いちじくを齧りてしのぶ幼き日

いちじくなんで無花果
調べてみると、
表から見えないだけで、
実の中に花をつけているらしい…
そうだよねぇ、
そうしないと子供できないものねぇ…

写真を愉しむ カリフィルニアライラック ライラックの花ににているということらしい

面白いね、ちょっと聞いたことがあるというだけで…
人だって一緒だよね、出会いはぎこちないのに
会って気があうと、すっかり打ち解けて…
僕らの世界(マスコミ界)では、一度会えば知りあい、
二度あったら友達…
そんなこと言われていたから…

写真を愉しむ チューリップが随分モダンになっている 時代変わればだな…

レストランでのタブレットでの注文
あれも困ったものだ
おまけに品物はロボットが運んでくる
味もそっけもない
イヤな世の中になってきたな─と、つくづく思うこの頃である
人情がますます薄れていく、そんな気がしてならない

ブドウ 商店街を歩いていると ブドウかとつい目に留まるけど買ってまでとはねぇ

長男が産まれる時など、
カミさんは岡山に帰っての出産だったから
新婚ホヤホヤの友達夫婦のところに数か月も居候したりしてね…
今思えば無無茶苦茶な生活だったけど、
よくやってこれたなと、
つくづく思う(笑い)
通常なら、
こんな生活だとドロップアウトのパターンなんだけどね、
巡り会った人が良かったのか、
余程ラッキーな星の元に生まれてきたんだろうねぇ、
奇跡につぐ奇跡が次々に起きて、
気がつけば雑誌社をやり、
編プロ、
プランニング会社をやりと、
「俺の人生 いったいどうなっているの」という位いろいろ変化して、
気がつけばやっぱり元の世捨て人(笑い)…
でも、
その間には何冊も本は出したし、
写真集も何冊か出したりして、
普通ではなかなか体験できないこともいろいろさせてもらった…
しかし、
考えてみれば自分自身で
「こうしよう」と思ったものはなにもなく、
ただただ流れに乗って生きてきただけ…