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輝く命というタイトルはどう
葉っぱ、明かりに透かして見ると、
命の輝きというか、
生命そのものが見えてくる
そんな気がする。
真ん中を走る大動脈
大きな血管があって、
身体の隅々まで血液が廻って、
細胞のひとつひとつが活き活きとして動いている
おおきなこの葉っぱを見た瞬間に、
そんなことを感じて撮ったのだが…
スマホカメラで撮った写真を見ていると、いろんな思いが頭の中をか駆け巡って面白い
スマホカメラで写真を撮って、写真を見ながら、
いろんなことを連想するの、
楽しいね…
昔、
医師の講演を聞いて、
800字のコラムにまとめて新聞
(A3二つ折り、A4仕上がりの8ページ、一回の研究会に出る医師は4人だった)
を作るという仕事を依頼されて何年間かやったことがある。
その新聞の中にはイインタビューという項目もあって、
いろんなドクターをインタビューしているのだけれど
何系のドクターだったか、
ある時、
「先生、現在の医学の常識では、
心臓が血液を動かしているというのが常識ですが、
ぼくは逆で、
血液が心臓を動かしていると考えた方が
いろいろと、
納得できることがいい多くなる。
そのように思うのですが…」
そんな無茶な質問を平気でしたりしてね(笑い)
ところが、
そのドクター
「君のその仮説、あながち間違いとは言えない」
そういって、
いろんな説をしてくれたのが記憶の底にある。
千島学説がその頃もてはやされていた
千島学説とは、
生物学者の千島喜久男氏が提唱した赤血球が体細胞の母体であるという説。
その頃は代替医療とか、
統合医療とか、
ホリスティック医学というのが脚光を浴びた頃で、
難しかったが、
とても面白い時代だった。
それにしても、
一人90分の話を800字にするのは大変で、
毎回毎回、
ウンウンとうなってばかりいた(笑い)
因みに90分の講演は約90枚の原稿量(400字詰め原稿用紙で)がある
よくやったよね…
今でもそう思っている(笑い)
僕にとって写真は、記憶装置を開けるカギなのかもしれないね
明かりに透かされて、
生命力溢れる葉っぱの写真を見ていて、
そんなことを思い出したのだった。
とりとめて、
何という程の写真ではないけれど、
僕は、
この葉っぱのなかに、
実態のない命を見た
(ちょっと大げさすぎるか)
そのように感じたのである。
エッ内臓は体内じゃぁないの…
そう言えば
「君、体内ってどこのこと」
あるドクターにそう聞かれて
「五臓六腑じゃないんですか」
そう答えると、
ドクターはニコリと笑って
「それは偽体内、体内とは腸管からなか、つまり血液のこと」
そう言われて、
ヘーと驚いたのもよく覚えている。
しかし、
これらの話はインタビューの中で出てきた断片の話で、
その真意は僕には分からない…
よくあんな難しい本ばかり読んでいたよね…
そう言えば、その頃
「人間、この不思議なもの」(読売新聞社編)
「シンクロニシティ」(朝日出版社)
「タオ自然学」(工作舎)
そんな難しい本ばかり読んでいた…
その頃僕は一体、何を求めていたんだろう…
まぁ、そんなこんながあって出来上がった変な奴、
それが今の僕なんだけどね…
スマホカメラで遊んでいると、
面白い程、
昔のことが思いだされて、
本当に楽しい…