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懐かしいねぇ、今から50年位前に撮った写真か、コンテンポラリーフオトグラフィー全盛の頃
場所は多分、岡山駅の地下街。
この頃、岡山駅から西口へ抜ける通路が別にあって、切符を持たない人は、この通路を利用していたの。
写真家以前の作品
このころ僕は、石津良介先生について写真を勉強しているころで、
山陽新聞のグループ会社に勤めながら、先生の所に持って行く写真を、時間があれば撮っていた、その頃の写真だと思う。
コンテンポラリーフォトグラフィー
意識的欠陥写真とも言われるんだけど、なんて言うのかな、キッチリと写した写真ではなく、感覚的に何かを捉まえるというか…
ノーファインダーで、「アッと思った瞬間」にはもう、シャッターを切っている。
「こう撮ろう」という、「思考」は捨て、感覚を大事にする…
そういう写真が人気になっていて、僕も熱病にかかったように、そういうのをやったの。
ブレ、荒れ、ボケ…そういう欠陥が逆に、内面の何かに訴えるというかね…
別の言葉で言えば、「無茶苦茶」なんだけど、
キッチリとした写真では伝わらない何かを表現する、そういう写真がブームだったの。
時代的にはベトナム戦争があって、反戦歌、フォークソングが流行していた頃だった
映画でも、ヌーベルバーグという、フランスで始まった映画運動(新しい波)、例えば35ミリのアリフレックスを手持ちで廻すとかね、写真のコンテンポラリーフオトグラフィーと同じような表現手法が流行していたの。
面白い時代だったねぇ、
若かったし、熱かったし、よく行く喫茶店なんかで、しょっちゅう芸術談義してたよ…
あの雰囲気、好きだったな…
僕は今もあの頃の情熱をひきずっているのかも知れない
今でも、その頃の感覚が残っているのか、
常連の人が集まる喫茶店なんかに行くと、同じ時代を共有した人たちがいて、思い出話を始めると、
「そうでだった」「そうだった」と盛り上がったりしてね…
ところが、面白いことに、そういう話が持ち上がると、今まで黙っていた若い女性たちが、
「そういう話、私聞きたかったんです」
そういって、目を輝かせながら、話し始めるのである。
いいよね、こういう雰囲気
だから行くんだよね、いつもの喫茶店に…
いろんな世代の人が集まって、自由参加で好きなことを話すの…
時にそれが文学であったり、流行であったり、音楽であったり、恋愛の話であったり…
お酒じゃないよ、お茶や、お汁粉食べながらだよ…(笑い)
こういう空間、いいよね…
だから、時間があれば、電車に乗っても、そこに行くの…
やっぱり井戸端会議の出来る場所、必要なんだよね…
みんなやっぱり喋りたいんだよね…
だってねぇ、ネットだけじゃやっぱりねぇ…(笑い)