discover essei phone photo

スマホカメラを愉しむ 冬なれど冬には冬の美しさ

投稿日:

移りゆく季節 色の競演が去った後、寂しくなるなと思っていたのだが、やっぱり自然は凄い…

冬には冬の美しさ魅力があって、
やっぱり愉しい

玄冬 青春 朱夏 白秋
人生にも四季があるようだが、
そうだよね、
その時期、その時代…
全て愉しいもの
最近、つくづくそれを感じている
状況を素直に受け入れてそれを愉しむ
電車に乗っていて、顔を見るなり、若い女性が、
スッと席を譲ってくれようとする
ちょっと前までは抵抗があったが、
今はそれを
ありがとうと言って素直に受け入れられるようになってきた
コンビニやスーパーのレッジで、
支払いのためにスマホをカチャカチャとやって、えらく時間を取っている人を見ると、
「何やってるんだよ お金で払えよ」と心の中でつい思ってしまうが、
大声を出すと、品位を失ってしまうから、
待て待てと自分に言い聞かせる
そうやって我慢をしていると、
いつの間にか“好々爺“なんてね…(笑い)
怒りは極力、表に出さない方がいい
愚痴っていると、
人間まで見すぼらしくなってくる…
そんなことがだんだんと分かってくるんだよね…
そうすると、人生がなんだか楽しくなってきてね…
その日その日が楽しく暮らせればそれが一番…
そのように思えるようになってきたの
しかししかししかし、
何かことあれば、
何…と言い返せるだけの気迫はまもっていると
自分ではそう思っているのだけれどね…

催促、その刺激がまた愉し
昨日、今書いている原稿の依頼主から
「原稿まだ bそろそろ欲しいのだけれど」という催促が
「ああゴメンゴメン 何本か書いたのだけれえど気に入らなくて、まだ日にちあるよね、もう少し待ってくれる」なんてね、
こういうやりとりが気持ちがいい、
嬉しいことに、
今何本か、そんな原稿抱えているのである
やっぱり時間がゆるす限り、満足できるものにしたいと思っているのである。
1000W、2000Wの世界だから、その気になればなんだけれど、
やっぱり頑張ってみたいと思うよね…
今日も愉し
明日も愉し…
写真も文章も、プレッシャーを感じながら自分と闘うの、結構好きなのである…(笑い)
変なの

 

-discover, essei, phone, photo

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

スマホカメラを愉しむ アイディアだね 藍染めの反物に花瓶をつけて うまいもんだね なんとなくなんとなく

ビジュアルをメモするのにいいよねぇ…
でもせっかくだから、
どうせ撮るならコレクションになるようにしておかなければね…
本作りの一つの秘訣は写真を大切にすること
本来ならばエッセイというのは本になりづらいの、
だって売れないもの…
でもね、
コンピュータが発達してくれたおかげで、
電子書籍というのが出来るようになって、
しかもペーパーバックだけど
紙の本になって、
Kindleのコード(ISBN)を使えば、
ただで出版できるの
(自分でやればの話だけれど)
僕の場合は 自分ではできないから
「豆しば書房」さんにお願いして編集レイアウト装幀の一色をやってもらってアマゾンで販売しているのだけれど、
結構これが人気になったりしてね、
それが生き甲斐になって、
こうして写真のコレクションをしているのだけれど、
写真さえあれば文章はどうでもなるし、

写真を愉しむ 善福寺川の櫻堤を愉しむ、本箱の隅で埃を被っていたコンデジカメラの埃を払って

今日は、俳句の会のある日 
13時までに5句
あらいいね 櫻の下で花見酒  雅督
防寒を羽織りて楽し花見酒 雅督
春は色溶け合う色の彩愉し 雅督
盃に櫻の花を浮かせ呑む  雅督
櫻花川面に映る江戸風情  雅督
できた凄い、わずか数分…笑い
こんなんじゃ、おこられちゃうかな…

スマホカメラを愉しむ 無農薬のかぶを塩もみしてお茶を愉しむ

出鱈目を、自分の文化に取り入れるって、本当に愉しい
こうしたことを記録しておくのがまた楽しい
かぶ、
甘酢をつくり、そこに着けておくのもいいかもね…

写真を愉しむ 古いフイルムの中を旅する成都の山奥の少数民族の村

写真見ていると、いろんなことが思いだされる
写真って、本当に素晴らしい
記憶装置として、これほど楽しいものはない
つくづくそう思うのである

天空の山城の「備中松山城」と高梁の街を観光

大石内蔵助、
言わずとしれた「忠臣蔵」のヒーロー。
忠臣蔵の始まりは、殿中松の廊下での事件で、赤穂の城は断絶されるのだが、その時、大石が、無血で城を明け渡したのは、すでにこの時(松山城無血開城)から始まっていたシンクロニシティーと考えると、とても興味深い。

高梁の街は、この城(松山城)藩士で幕末から明治にかけて活躍した漢学者、山田方谷や弟子の三島中洲(二松学舎をつくった人)などによってつくられた街だから、趣が、ちょっと違うのである。