essei phone photo

写真を愉しむ 旅する地蔵菩薩 正月を迎えるために、ある場所に集まっているところ 僕にはそのように見えたのだった  

投稿日:

データボックスを耕していたら出てきたの
丁度今頃だった
撮ったのは確か、深大寺の近くだった
見た瞬間、
なんとも言えないサムシングを感じて、思わず頭(こうべ)を垂れて拝んだのを覚えている
口では、
「神だ 仏だ そんなもの…」といいながら、
こういう場面に遭遇すると、やっぱり 寺で生まれているからね…

昔ライフというグラフ雑誌があってね、
週刊のグラフ誌
最盛期には1350万部以上の売り上げを持っていたの
その雑誌に関わる本の中に、ある有名カメラマンが書いていたの
「ライフの編集部に写真を持ち込むと、ちょっと年配の女性編集者が対応してくれた。写真を見せると、あら素敵ね、じっくり読ませてもらうわ、そういって預かってくれた…」と、
見せてもらうわではなくれ読ませてもらうわ…
その意味が知りたくて読んだのだが、
覚えていることだけ言うと
「一枚の写真には、何万語にも及ぶ情報がある、その情報の中から
訴えてくるストーリーを読み取るのが編集者の仕事なのだと、
そして、
読者に対して、読む方向性を示してあげるのが、編集という仕事なのだ」というのがあって、
「そうか、一枚の写真の中には、何万語もの情報があるのか、そしてキャプションは、読むための方向を示すものなのか」というのを知って、
僕はそれに対する文章をつけるようになったのを思い出した
「僕はこう見た」
これがあると、
その写真に意味がもたせられるものね…
僕の写真+エッセイは、そういうところから生まれたものだったのである
馬鹿でも、同じ道を長いこと歩いていれば、色んなことを学ぶよね、それが楽しくて…
「撮って書いてワヤで笑える人生日記」も、後数日で、連続365回

どうでもいいことだけど、頑張らなくては…なのである。

 

-essei, phone, photo

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

カメラを愉しむ かぶと虫 皂莢虫とよばれけり

夏だねぇ…
タライに井戸水を入れ、
その中に、スイカとかマクワウリ、
キューリ、トマトなどが冷やされているの…
そういう情景…懐かしいねぇ…

山栗は古人(いにしえびと)が食べたくり  

目次 山栗は古人(いにしえびと)が食べた栗 いわば野生の栗 しかし 今年は枯れた木が多く、 なかなか収穫できなかったらしい それでも 「やっとこれだけ」 そう言って送ってくれたの そう立派な銀杏ととも …

スマホカメラを愉しむ 枯葉(AutunnLeaves) マイルス・デイヴィスを聴きながら

朗読の面白さこの気づきも大切だった
それを教えてくれたのが
このところハマっている
「癒しの朗読 山本周五郎」の読み手
アリアさんだった。
ゆったりと落ち着いた声でリズムがよく、
丁寧にゆったりと読む
その朗読は心にズーと入ってきて、
まるで映画を見ているように映像が脳裏に浮んでくるいのである。
そして
この朗読を何回も何回も聴いていると
一回目よりは2回目
さらに3回目と回数が増えるにしたがって
言葉と言葉の間の言葉
(本当はないもの)
が感じられるよになり、
さらに表の言葉ではない言葉
(作者は何をいいたかったのか)
というようなものが、
分るような気がしてくるのである
そう最初はストーリーの面白さに心奪われていたものが、
そういうことが分ってくると、益々楽しくなってきてね…
「そうか 道とはこういうことなのか」
というのを教えられた
そんな気がしたのである…
これは凄い発見
そう思った…
この落ち葉(写真)も多分、
おそらく
普通では撮らなかったと思う
しかし、
僕の脳裏には表面の世界とは違うものが見えていて、
その声に従って撮ったのがこの写真
いいか悪いかはわからないが、
サムシンエルス
(もう一つの発見)
の意味がようやく分かってきた
そんな気がしているのである

スマホカメラを愉しむ 電信柱にできた沁みなんだけど、僕には忍者君に見えたので…

一度だけの人生だもの、
いろんなことを経験しなければ…だよね…
人生はだから楽しいのである(笑い)

写真を愉しむ 結論からいうと写真  思うようにはなかなか撮れない だから飽きないんだね

写真、難しいけど、本当に楽しい…
今はフイルム時代と違って、現像の上がりを待たなくていいのですくわれる、
あの時間は、精神的にいいものではなかったから…