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スマホカメラを愉しむ 秋の黄昏 ベンチもどこか憂い顔

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ベンチとの会話

言葉を変えればそれはディスタンス
(どこから撮るかということなんだけれど、いつのまにか、そういうのを直観的に見つける眼(感覚)が身についていたんだね…
「僕はここで何を撮るべきか」
「…」
「やっぱり顔…」
「物にも表情があるんだ」
というのをいつの間にか身につけていたんだね…
でも、
こういうのはね、なかなか教えてくれない
でも、実際には、

こういうことこそハウツーだと思うんだよね…

「エッ 何言ってるのかよく分らない」
確かに
「さもありなん」
だってこれは感覚の世界だもの
でも僕の先生
(石津良介先生)は、
そういう話をよくしてくれたの
しかし残念ながら
若い僕には何を言っているのかよく分らなかったのだけれど、
なんとなんとなんと、
今いろんなことを体験して
「ああ
 先生が言っていたのはこういうことだったのか」
とつい思うんだよね 

本当に奥が深い 
まさに道 タオの世界(道の哲学)だとつくづく思う。

アリアさんの「癒しの朗読」(山本周五郎)を何度も何度も聴いていて
先生が言っていたのの同じというのがそこにも沢山あって、
写真の面白さというのが、
ようやく分ってきたと思っているのである。
そういう意味では
とにかく
こうして毎日撮って書く行為こそ大事
というのが分かったのである。
べつに
こうしよう(何かにしよう)という目的はなくても、
コツコツとやり続けることが大切で、
やっていれば次第に面白くなって来るという発見は
とても素晴らしいこと、
今僕はそのように思っているのである
今日も愉し
明日も愉し
ハハハ…
これ自由人だから言えることなのかな…(笑い)
仙人を愉しむ
いいね…(笑い)
オッこれ気に入った
名刺に刷り込むかな…(笑い)

 

 

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