いいね、夏休み。
一人で暮らしていると、いつ起きていつ寝てもいいのだから、これはいい。
疲れたら眠り、元気が回復したらコンピュータのスイッチを入れて、大量のデータの中から、いろいろ探し物をする。
普段がずさんな生活をしているから、データの整理も悪く、いざという時に、欲しいデータがなかなか出てこないのだ。
探しものには、時間が必要なのだ
こういう探し物をする時には、やっぱり、何日かまとまった休みがないと、なかなかできない。
普段の暮らしの中では、探し物は、時間を食うので、なかなかできないのだが、今は有給休暇中(何十年かぶりかの体験でとっても喜んでいるの)なので、心おきなくできるのである。
セレンディピティーは探し物をしている時に現れる
「セレンディピティ」
(素敵な偶然にあったり、予想外のものを発見すること)
は、こうして探しものをしていて、思わぬものを発見するということ。
この言葉は、19世紀、フランスの数学者ボアン・カレという人が言った言葉で、10年程前だったかな、「偶然の発露」ということで、ブームになっていた。
g-guruで遊んでいたらある人が
「セレンディピティーという言葉を知ったのは、久保雅督が講演で、この言葉の解説しているのを聞いたから…」というのがあって、
「おお、僕のことじゃん」と、感動したのを覚えている。
「おお、これ書こう」
話が流れてしまったが、元に戻すと、
昨日、データボックスを漁っていて、
「砂漠に月」の写真をみつけて、
「これ書こう」となったのである。
そうそう、この写真は、沙漠に行って写真を撮るという仕事が前にあって、ついでに沙漠の情景を撮り、それでポストカードを作っていたのを友人が見て、版元に売り込んでくれ、出版が決まってから、再び撮りにいった時のもの。
思い出した、
夜、事務所で原稿を書いていたら。友人の編集者から、これから行くからという電話が。
しばらくしてから現れた友人は、すでに酔っぱらっていた。
で、顔をみるなり、
「おい、久保」
と偉くタカビーな口調で
「本、決めてきてやったぞ」
「…」
「本って、何だよ」
「砂漠の写真集だよ」
「砂漠の写真集、そんなに写真ないよ」
「だったら撮りにいけよ」
「砂漠だよ…」
「いいじゃないか、行けよ、写真集出したいんだろう」
「そりゃ、出したいけど…」
「だったら、行けよ。もう出版決まってんだから…」
「砂漠の木」という写真詩集
(詩 高橋順子・写真久保雅督 愛育社)
はこうして生まれたのだった。
これこそまさにセレンディピティーだった。
「砂漠の月」はその時の一枚。
「月の砂漠を はるばると 旅のラクダがいきました…」
沙漠で月をみながら、
そんな歌を歌いながら撮ったのだった。