discover essei photo

写真撮影、無茶もテクニック、写真はかくあるべきというものはない、いいと思えばそれでいいのだ

投稿日:

写真、無茶もテクニック いいと思えばそれでいいのだ

昨日、夕方、深大寺へ。
バスを降りたら、太陽が、つるべ落しの真っ最中。
持っていたカメラは、おもちゃみたいなコンデジ・
太陽を正面に受けると、露出のコントロールは不能で、何んの役にもたたない。

しかし、習癖、本能がシャッターを切らす。

モニターを見ると、太陽が見えるだけ。
それでもガチャガチャと適当に動かして何枚かシャッターを切る。
そのデータをコンピュータに出し、トーンカーブで調節したのが、今日の写真。

写真、無茶もテクニックなんて、もう、ハチャメチャなんだけど、惹かれるものがあって、
「よし、今日はこれで」となったわけ

で、写真を見ていて、さて何を書こうかと、ワードプレス立ち上げて出てきたのが、
「無茶もテクニック、いいと思えば、それでいいのだ」
というフレーズだったの。

で、今は、
そのフレーズをキーワードにして、これから、どうやってそのフレーズに文章を足していこうかと思いながらキーボードをたたいているの(笑い)
実は毎回、僕はそうやって記事を書いているんだけどね…

書きながら、意識の何処か、いつも渦巻いているのが、
「写真にかくあるべきという法則はない」ということ。

そう言うと、ちょっと問題があるな…
そうだな、
プロ(職業写真家)として撮る場合には、クライアントに納得してもらわなければならないわけだから、無難に確実に、キッチリとした写真を撮らなければならないが、今、言っているのは、楽しみとして写真を撮る時のこと…
つまり、大袈裟に言えば、作家としての作品づくりをする場合のことで、
そこには、「斯くあるべし」というものは何もないのである。
そう、自分がいいと思えば、それでいいのだ。

僕の概念でのアーチスト像

ただし、自分がいいと思っても、人が同じように感じてくれるかどうかというのは、また別の話…
いわゆる作家の人たちというのは、自分の世界を発表して、多くの人の心を捉えているのである。
僕の概念ではアーチストとはそういう人たちのことなのである。
ところが、最近は、昔流に言えば
「カメラを買えばカメラマン、鉛筆買えばルポライター」
これは、僕が駆け出しの頃に言われた言葉だけど、まさにまさにまさになった。
言い換えれば、その頃言われた「軽薄短小」がますます進んでいるのが昨今、そんな気がしているのは、世の中の流れになかなかついていけない、年寄りの愚痴か…
★               ★
しかし、(だが、ここでそういう接続しがいるのかどうかは疑問だが、これがないと、話の切り替えができないので、合いの手として、ところでという意味かな)
そういう時代にコンテンポラリーフォトグラフィーという手法が流行して、僕も、熱病にかかったように傾倒したのだが、
簡単に言えば、
「意識的欠陥写真」(コンテンポラリーフトグラフィー)
きれいじゃないから伝わるものがある。
はちゃめちゃだから伝わるものがある。
ボケているから、より感じられる
そんな概念で、意識を表に出す(ビジュアル化する、表現としての写真)の時代がやってきて、本当に楽しかった。

昨日、撮った、この写真を見ながら、コンテンポラリーの頃のことがフと思いだされたのである。
そして思ったのが、
デジタルカメラで、それをやると、面白いかもしれないということだった。
だって、ブログのタイトルが
「撮って書いてワヤで笑える人生日記」だもの。そういう生き方をしな、ければ…ね(笑い)

 

 

-discover, essei, photo

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

関連記事

スマホカメラを愉しむ ブラックレースフラワー デザインとして面白くて

写真って本当に愉しい
例えばそれが記念、記録写真でなくても、
その映像に心が反応して、色んな記憶が思い出されるの
その断片をこうして記録するのが、とても楽しいの
スマホカメラって、本当に愉しい…

スマホカメラを愉しむ ほんわりと優しさ醸す木瓜の花

575にする場合は、やっぱり、
漢字ではなく ひらいて
ほんわりと 優しさかもす木瓜の花 なのかな…

スマホカメラを愉しむ 白にピンクの縁どりが可愛いあじさいの花

楽しいね スマホカメラ
そして写真…
なかなか思い通りにはならないのだけれど、
思いは形となって現れると思っているから…
そう、
心に思わない現実はないと、僕は常に心の中で思っているから…

スマホカメラを愉しむ さあ食べるぞ やっぱり食事は楽しいよね

スマホカメラでこんなの狙って撮れないよね。

でも長く写真を撮ってると、こういう偶然も結構あるの。

チョウチョが飛んでいるのは知っていたよ。
だから、シャッターは高速にして、
タッチじゃなくて、音量ボタンをポンと押せば、
いつでもシャッターが切れる。
そういう準備を整えて、
近くに来るのを待っていたんだけど、
いいタイミングだった。

あざみ、アザミ、薊、野山を歩けばいつでも、どこにでもという感じなのに、何かひきつけるものがある。

薊という字を分析すれば
そう思って調べて見ると、
草冠は植物、魚は、葉の形が魚の骨のような形をしているから、りっとうは刀で、鋭いということらしい。漢字って面白いね、
都都逸に「櫻という字を分析すれば、二階(貝)の女が気(木)にかかる」というのがあるけれど、薊という字は、「魚という字を分析すれば、鋭い刀で魚をさばき 葉に盛る」
ハハハ…
これではただの説明、頓智が聞かなきゃ都都逸にはならないよね、都都逸、本当に難しい…

広告