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なんとなく、咲き誇っている、そんな感じ。皇帝ダリア
学名、「Dahlia Imperialls」を訳して「皇帝ダリア」 キダチダリアとも呼ばれている。
皇帝とは王の中の王らしい。
しかし、映画「蒼穹の昴」を見ていると、なんか、遊んでいるばっかりみたいで、あれじゃやっぱり、国は滅びるよね。
考えていることは、子孫を残すことばかりだもの。
「ラストエンペラー」も辛かった。
この映画は、清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)の生涯を描いたもの。だが、歴史に翻弄された哀れさが、切なかった。
しかし、皇帝は、最高の権力者だから威厳があるのだ。
もしかしたら、「皇帝ダリア」は、「皇帝」と呼ばれていることを、知っているのかもしれないね…
だって、この花、威厳があるもの。
しかし、皇帝と言って思いだすのは、昔のルポルタージュで「廃帝カイザルに会わざるの記」である。
取材の基本を教えてくれた記事だった
覚えているのは、「廃帝」となったカイザルが、どんな生活をしているかを記事にしようと新聞記者が、取材に行くのだが、当然会えない。
しかし、新聞記者は諦めない。
何日も何日もお城の周りをうろついていて気がついた。
朝と夕方の決まった時間に、お城の中から斧で木を切る音かがするのである。
それを丹念に取材して書いたルポルタージュなのだが、
それによると、皇帝といえども、いつ失脚するか分からないから、手に職をつけておかなければならないというのが、家訓としてあった。
カイザルが選んだのは、「キコリ」という仕事だった。
カイザルは、それを守って、毎日、決まった時間に木を切って、訓練をしていたと、確かそんなレポートだった。
記憶装置としての写真
最高の権力者であっても、「スワ」という事態を常に考えておかなければならないというのを、この記事を通して知ったのと、
取材というものの基本をこの本から学んだということで、記憶に残っているのである。
そうなのだ、人の話を聞くだけが取材ではないのだ。
周辺の状況を丹念に調べれば、主題はおのずと浮かびあがってきて記事は書けるというのを、このルポルタージュから学んだのだった。
花の写真から、古い記憶がまたよみがえってきた。
面白いね、バック・トゥ・ザ・フューチャー
カメラは僕のタイムマシーンなのである。