究極の美しさとは
美とは、突き詰めれば、無駄なものを排除して、極めてシンプルにした形のことか…
それとも、シンプルな配色をいうのか…
この絵(写真)赤と黒だけの極めて単純なものなのだけど、何かを感じさせる。
そう思っているのである。
何か…
サムシングエルス
もうひとつの何か
好きだな、この言葉…
これを社名にして名刺に刷り込んでいたら、ある大学の教授がニヤリと笑って
「いいですね サムシングエルス」
そう言ってから
「エニシングエルスじゃ様にならないけれどね」とつけ加えた。
その時は、意味も分からずに、相槌でハハハと笑ってごまかしたが、帰って急いで調べた。
だってその頃はタブレットなんてなかったしね、
「こんなの(今のタブレットのようなもの)あったらいいね」と、夢物語で語っていた時代のことだもの。
「赤と黒」この言葉にも惹かれるものがある。
スタンダールの小説。
ひとつの時代が終わりひとつの時代が始まる瞬間がある。その時、青年はどう生きるかが、この小説のテーマだと、思っていた。
こういう本を読んだ時期もあったんだね…
文学、そういう雰囲気に憧れた時代(時)もあったんだけど、そんな面影は、今やみじんもないねハハハ…
だが、「赤と黒」というタイトルだけは、脳裏にしっかりと焼き付いているのである。
もしかしたら、青春時代の、そうした記憶(思い)が意識の底にあって、この花を見て、そう思ったのかもしれない。
「秘めた恋心」というのは、やっぱり、刺激的だったからね(笑い)
この絵(写真)
コンピュターに映し出して眺めていると、人生がまだ定まっていない(今もまだだが)青年の頃の、いろんな出来事が思い出された。
そう言えば、その頃は
「人は何か、使命を持って生まれてきた」と思ったりしていたけれど、今思えば、人生なんて、そんなに崇高なものではないね。
生まれたから生きる、生きるために働いて…
高齢になって振り返ると、何にもないね人生の意味なんて
しかし、しかし、しかし、
僕の場合は、やりたい放題をやってきた時代があったから、楽しかったけど。
人生に意味など何もないけれど、
やっぱり、
楽しみを見つけて、充実(そう思える一日を過ごす)して生きる(生活できる)というのが、やっぱり、最高なのかなと、最近は思っているのである。