フォトエッセイ

どこか神秘な森の妖精、御嶽山のレンゲショウマと丹三郎そばこそ夏のトレンド

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古民家丹三郎で蕎麦を楽しみ御嶽山で森の妖精レンゲショウマの写真を楽しむ

古里の丹三郎で蕎麦を食べ、そこから御嶽に出て、バスで御嶽山口に行き、ロープウエイで山に上がって、森の妖精といわれるレンゲショウマ(蓮華升麻)の写真を撮るというのが、毎年夏の、僕の恒例行事。

僕は住まいが新宿御苑だから、早朝に出て、新宿から立川へ。

そこで青梅線に乗り換えて古里駅へ。

丹三郎蕎麦は、古里駅から10分程歩いたところ。

藁葺き屋根の古民家(写真参照)
三間流れの座敷で、冷たい水で絞られた御絞りが、なんとも気持ちがいい。
上がり框を上がって、黒光りのする板の間をちょっと歩くと、そこがお座敷。

11時開店なのに、すでに満席、なくなると売り切れ御免

注文するのは、蕎麦がきと、稚鮎の天ぷら、舞茸の天ぷら、時に鮎の塩焼き、澤乃井の「超辛口」セイロ蕎麦、デザートに冷たいおしるこ。
おしるこは別にして後の品書きは、すべて一人前を二人で食べて丁度いいくらい。
やっぱりいいねぇ、天然のクーラーで、座敷に座って食べる、蕎麦屋の雰囲気。

いろんな国のいろんなレストランにいったけど、やっぱり僕は、日本の田舎育ち、ここの雰囲気がとても好きなのである。

写真を見ながら、そろそろだなと思っていたら元カミから連絡が来て、

「今年はお姉さんも呼んで、『おばさんを偲ぶ』ということにしない」という連絡が。
で、「いいよ」と返信すると、
「費用はあなたもちで」という文字が、最後にピカピカと光って見えた(笑い)
そう言えば、コロナで三回忌の法要もしていなかったしね…

法要 正式にはどういうものかは知らないが

皆が集まって拝んだからって、それがなんなの。
そんな思いを持っているから、
そういうしきたり好きではない。が、しかし、親しかった人が集まって、
「ほんまに賑やかな人だったよねぇ」
「あんたなぁ、こりゃ、絶対に言えれんのじゃけどなぁ」
そう言って聞かせてくれた話、翌日姉と電話すると
「おばちゃんがなぁ」
「やっぱりハハハ…」
だからわざと
「おばちゃん、昨日姉さんに電話したら、あの話、知っとったで…」
そういうと
「そうじゃて、いろいろな話をしとるうちに、ついつい 言うてしもうたハハハ」
そういって、ケロリと。
それでも憎めないなにかがあって、本当に楽しかった。
そんな思いで話をすることには意義がある━と僕は思っているから、今回の企画は歓迎である。
そうそう、

たまには、そうやって会っていないと、お互い高齢だかね。

レンゲショウマはここから数駅電車に乗って御嶽駅にゆき、
そこからまたバスに乗って行くのだが、
山一面にレンゲショウマが咲いていて、あっちでもこっちでも無心で写真を撮っている…

いいね、こういう風景

ここまで写真をブームにしたのは、やっぱりSNS
僕なんか、ワープロから始まってコンピュータも早くに導入したのに、今や完全な遅れ人、
なぜこういう現象が起きるんだろうねぇ…
でも、これほど夢中にさせてくれるオモチャはないので、それはそれで結構楽しい。

 

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