なんとなく家紋 そんな感じ
花をこうしてシンプルにしてデザイン化していくと家紋に見えてくる
これはクレマチス
洋花だからそんな家紋はないと思うけど、
日本人の美意識って凄いとつくづく思う
だって、
黒い紋付に小さくパチっと
誰が考えたんだろうね家紋
ちょっと調べてみよう
「家紋とは」
検索窓にそう打ち込むと
「家紋の由来とは?そのルーツから現代まで」
というのがあった。
かいつまんで紹介すると
「家紋とは先祖から代々伝えられてきた家を表す紋章で、
言わば「家のロゴマーク」なのだそう
しかし、
説明によると
「田中」という名字の方が皆同じ家紋というわけではなく、
同じ名字でも出身地や家系・家業などによって様々な種類の家紋が伝わっており、
また、
名字は違っていても同じ家紋が伝わっている家も多く存在しています」
これはちょっとやっかいだな
2 家紋の由来とその歴史
家紋
直接そこに結びつくかどうかは分からないけど、
文様文化は縄文時代(土器など)から始まっており、
考古学者の間では
それぞれの文様に意味があったと言われているらしい。
そして、
どうやらそれが「家紋文化」の発祥に繋がっているというのである。
歴史はその後
中臣鎌足が中心となり大化の改新があって
「律令国家が成立した奈良・平安時代になると、
朝廷に仕える貴族(公家)達が、
自分好みの「文様」を装飾としてあしらった衣服や家具等を使うようになった」と
どうやらそれが、
家紋が生まれる一つのきっかけになったらしい。
公家と家紋
家紋の発達に影響を及ぼしたのは公家の人々
説明によると
公家の家紋のルーツについては3つの説があるらしい。
当時の公家はひとつではなく、
たくさんの家があったため、
「それぞれの公家ごとに様々な経緯・由来で「文様」が家紋として成立したと考えた方が自然です」と。
(お公家さんはたくさんあったんだ 公家とは朝廷に使える人たちのこと)
説1は
牛車に使われていた文様が転じて家紋になったという説
家紋の由来についてはこの説が最も一般的らしい。
「源氏物語にも描かれる平安時代の「車争ひ」は、
たくさんの牛車が停める場所を従者達が争う様子が描かれています」
なるほど、
そりゃ文様がなければ、
誰の車か分らないわね…
説2は
衣服の文様を由来とする説
公家が着用していた衣服の文様。
久我家では
(こがけは、日本の氏族のひとつ。村上源氏(中院流)の総本家にあたる)
竜胆だすきという文様を好んだらしく、後にこれを家紋としているのだそう。
どうやらこれが、
「自分が好む文様(デザイン)が他が認める正式な家紋になった例らしい。
3は
その他説
これは、
特別な「理由」や「ゆかり」により家紋となったという説で
例えば菅原道真は
「梅」を大変愛していたことかららしい
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな(菅原道真)
なる程、
で、
先祖を偲んでという菅原家の家紋が梅鉢紋となったということらしい
ということで、
公家の家紋には様々な由来があり、
その理由を1つに絞ることも難しいのだと。
そして家紋は、
必要があってわざわざ作ったのではなく、
装飾の延長から自然発生的に生まれたもので、その発生の仕方も様々なので、こうですという説明はできないのだそう。
でも、
全てに共通していることは、
「その家になんらかのゆかりのある文様やモチーフを用いたデザインが後に正式な家紋になったということです」と。
ちなみに
天皇と皇室を表す紋章で広く知られている
「菊花紋」は、
鎌倉時代、後鳥羽天皇が菊の花をとりわけ好み、
天皇家のあらゆる調度品に菊の紋を使用したことが由来とされているかららしい。
クレマチスの花からとんでもない方向にいってしまった(笑い)
エッ庶民の話…
それはまた今度だね…(笑い)