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何をどう撮る 肉眼では見えない世界を創りだす魅力 

投稿日:2019年7月29日 更新日:

今日は、久保雅督です。
「撮って書いてワヤで笑える人生日記」にお越しいただき、ありがとうございます。

今回は、私が師事した石津良介先生に教わった、心に残るものを書いてみました。

等々力不動明王院

こういうパターン(上部の写真)
肉眼では、こういう風には見えないよね。
(無駄なものは省略して、見せたいものだけ見せている)

でも、写真家の目は特別で、
「ここは、こういう仕上がりにすればいい」
というのが分かっている。
そういう、アナザーワールドをつくり出すのが、写真の魅力だと、私は思っているのだ。

今そこに人がいたんだよ、そういう気配が感じられる雰囲気、アトモスフィアが大事なんだ

私が師事した石津良介先生は、
「そこの曲がり角を、パラソルをさした、モダンな女性が今、通って消えたところ そういう雰囲気、アアトモスフィアを感じさせる、そういうのを意識して撮らなければ」と、よく言われた。

そんなことを言われて、
「ハイ」
と、返事はしているものの、
「無いものは写らない」
と、心の中では反発していた。

その言葉の意味が、今、ようやくわかって来たような気がする。
俺って、相当、鈍いよね(笑い)

インスタグラムにアップした記事に寄せられたコメントに感激

昨日のインスタグラムに
「クロホウシ」
の花の写真(下の写真)をアップして


この花 好きだな
遊び慣れた女の雰囲気。

そう、こういう場合は、
女性というより、オンナという方が、似合う。

バーのカウンターに斜めに腰かけ、脚を組み、頬ずえをついて
ワイルドターキーの17年あたりを、炭酸で割って飲んでいる。
「踊りに行こうか…」
と、思わず声をかけたくなるような、そんな雰囲気を醸しだしているように、私には見えるのである。

花も、このように、会話しながら撮ると、
デートしている、
そんな気分になってくるから、楽しい…

と書いていたら
「いつも楽しい話術に癒やされています。私も69歳 オンナになれたかしら」
という、書き込みを頂いた。
とても嬉しかった。

昨日まで知らなかった人と、たった1枚の写真、短い1言のフレーズで心がシンクロするって、素晴らしいことだと、つくづく思う。

こういうの頂くと、
「よし」 
という気になれるから、頑張れるのだと、私は思うのである。

「フォトジャーナリストへの道」を読み返して

人物を入れないで人物を撮ることについて、自著の
「フォトジャーナリストへの道」(写真)

 

に、次のように書いている。

人物を入れないで人物を表す

日本青年会議所の広報雑誌「50億」で、有名人の(青年の頃)という連載を一年間続けた。
企画意図は、無名時代から名を出すまでの経験を聞き、そのポイントポイントで何を考え、どういう行動をとったかといのを聞き出すというもの…

この連載の何回目かに、写真家協会の名誉会員である林忠彦氏に登場願ったことがある。

林さんはこの時、若い頃の無理がたったて肝臓を患い、入院していたのだが、わざわざ病院を抜け出してきて取材に応じてくださったのである。

写真家林忠彦氏へのインタビュー、短い取材だったか、凄い宝物を得たという感じ

そして、企画の立て方やら、取材の仕方といったような、いわば、写真家の企業秘密の部分までさらけだして、話してくれたのだった。
 なかでも、私が強い印象を得たのは、風景写真の大家である緑川洋一氏と林さんとのやりとりである。

林さん、これは風景写真ではなくて、風景の報道写真だよ 人が大勢見える

林さんと言えば、太宰治や坂口安吾の写真が有名で、人物写真の‘’林忠彦‘’で売ってきた人であるが、最近は風景写真を撮っているのだという(昭和60年頃の話し)。

そこで、古い付き合いである風景写真の大家、緑川洋一氏が出てくるのだが、林さんの話す二人の会話は次のようなものだった。

「緑川さん、僕も最近は風景写真を撮っているんだよ。風景写真は難しいものだと思っていたが、やって見ると案外撮れるものだね」。

そう言って、数点の風景写真を見せたのだそうだ。ところが、それを見た緑川氏は言った。
「林さん、これは風景写真ではなくて、風景の報道写真だよ。人が大勢見える」
(林さんはこの頃、新選組というテーマで風景写真を撮っている頃だった)

林さんは、その言葉が非常に嬉しかったという。
以来、林さんは、風景を報道するという感覚で、風景写真を撮り続けているというのだ。

 

なんと恩師石津良介先生と林さんは、北京の広報室で一緒だった

林さんからその話しを聞いて、私は恩師石津良介先生の言われた言葉を思いだした。
私が東京に出るとき、先生がポツリと言った、忘れられない一言である。

「久保君、これから君が写真家になって、風景写真を撮るようなことがあったら、人物を入れないで人物を表す。そういう雰囲気を意識しなくてはいけないよ。いま、そこに人がいたんだよという、この雰囲気が風景写真の命なんだ。いや、これはなにも風景に限ったことではない。物でもなんでも、そういう感じが出なくてはだめだ」。

石津先生に教えられたその言葉を、そっくり林さんに話すと林さんは一瞬驚き、そしてしばらく間をおいてから、
「さすが石津良介、私の先輩だけある」

一言そう言ってから、思いで話しを聞かせてくれたのだった。
林さんは石津先生と戦時中、北京の広報室に一緒にいて、写真についていろんなことを教わったというのである。
 そんな話しがあってから、林さんは私との距離を一気に縮めてくれ、自分の企業秘密のようなものまでさらけだしてくれたのであるが、同時にここでまた私は石津先生の偉大さを知らされたのである。

緑川先生の言葉を借りれば、私が撮っている風景写真も風景の報道写真ということになる。
風景写真と風景の報道写真、何が違うのか。
これは私の勝手な解釈だが、
例えば、そこが古戦場であったとする、
そこで風景写真を撮ったとすれば、どうしても
「強者どもの夢の跡」
というのを意識して撮るから、画面にそういうものが表れる。
石津先生のいう雰囲気、アトモスフィアである。

それに比べて、緑川先生の風景写真は、美しいところを、より美しくという感じで撮っている。
そういうことを、多分言ったのだと思う。

ウーンなかなか奥が深い…

一枚の写真からいろんなことが思い出されて、書かずにはいられなくなってしまった、思いでの記。
最後までよんでくださってありがとうございました。

 

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