ただ写真を撮るのではなく、心で感じたことを形にすると、また別の愉しみが
散歩しながら毎日のように写真を撮っていると、今までは気づかなかったものが、見えるようになってきたりする。
例えばこの写真
来るなら来い
なんてことのない、植物の写真なのだが、私の心は、
「来るならこい」と、ファイテイングポーズをとっているように捉えたのである。
この写真に対して
ファイティングポーズをとっているよに見えるのだが…
そうか、心の中はそのように捉えていたのか
ポーズはとっているがこれじゃあ喧嘩勝てそうもないよねぇ。
こういう写真がたくさん集まるとまた面白いのができるんだけどね…
まあこうして遊んでれば何かできるよそのうちに、気楽に行こうよ…
色んな事やってたけど結局何もできないまま終わったねって言われそうだね…
こんなコメントをつけてフェイスブックに掲載しているのである。
面白いねこの写真、撮ってて、自分でもそう思った
この写真には、葉っぱの喧嘩
長い時間かけて化粧してきたんだから当たり前でしょ…
この写真から、写真絵本というヒントをもらった
これから研究。課題がまたひとつ増えてしまった。
この写真はピエロ
私はピエロ、老いたピエロ
「 鳩が飛びたつ公園の 銀杏は手品師 老いたピエロ…」
そんな歌を連想するせいか、どことなく寂しさが漂っている。
馬鹿にされる役を受け持つのが、「ピエロ」なのだそう。
私にも、どうもそういうところがあって、余分なことを喋っては、ヒンシュクを買うことが。
植物の中には、いろんな神や仏の姿が
物の見え方なんて、心の持ちようで、 いかようにも変化する。
「 諦めましたよ どう諦めた 諦めきれぬと 諦めた」
このように、心で感じたことを記録していくと、面白いものが見えてくる。
写真って、本当に素晴らしい。