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同じ花でも、名前が違うと、新鮮な気持ちでまた撮ってしまう。
しかし、記憶の底にはちゃんとあって、
「アレッ」と思って、例えば、インスタグラムなどの一覧表を見ると、「やっぱり」なのである。
しかし、こうして書き始めると、
だからと言って止めるわけにはいかないのだ。
キレイ、美しい 癒される なんだそんな表現しかできないのか…
まあ、僕の場合は、花はキャッチ、挿絵であって、別段、花を紹介している分けではないから、それでもいいんだけどね…
それにしてもキレイだよね、この花…
尤も花を見て「キレイ」だとか「美しい」とか「可愛い」とか言っていたら、全部の花に対して、
「オーキレイ」とか「美しい」とか「癒される」になってしまうので、
「なんだおまえ、そんな表現しかできないのか」
と言われてしまうから、
「いかにキレイか」「いかに美しいか」を別の言葉で伝えようとするのだが、なかなかなのである。
生意気盛り、若さゆえの、無茶な注文だった
昔、雑誌社をやってたころに、原稿を依頼するのに、
「例えば花を見て、キレイだとか、可愛いとかというのは極力避けて欲しい」
そんな注文をつけていたりしたのだが、今から考えれば、無茶な注文だったなと、反省している。
手垢にまみれた表現は避けようと思ってはいるのだけれどね
それと同じく、人物を取材する時も、
つい「人生」という言葉が便利だから使ってしまうが、大切なのは、「人生模様」であって、それをどう描くかなのだが、「つい、素晴らしい人生だった」とかと、手垢にまみれた表現になってしまうのである。
だから、好きで書くエッセイは、できるだけ、そういう表現は避けようと思うのだけれど、ボキャブラリーが少なくて、こういうところで、勉強していないのが、つい出てしまう。
僕にとっての昭和が、昨日、終わった、そんな気がした
昨日、従兄弟(母の弟の息子)から、電話があった。
見慣れないで電話には通常は出ないのだけれど、虫が知らせるんだね…
内容は言うに及ばずで、そうなのだが、高齢だから、悲しいとかということはないけれど、
「みんないなくなってしまった」
と思うと、ポッカリ心に穴があいたような、寂しさ、虚しさがあって、みんなが元気だった頃の、いろんなシーンが思いだされ、やっぱり、涙が溢れてきた。
叔父なんだけど、なぜか「兄ちゃん」と、そう呼んでいた。
僕の大学受験の失敗の電報が来たのが、祖母(母の母)の葬式の日。
その話を聞いた、誰かが言った、
「遠縁の〇〇さんは、勤めていた役場を辞めて、東京の写真の学校に行くそうだ」
というのを叔父が聞いて、
「間に合うなら、おまえ、そこに行け。どうせ、落ちこぼれ、浪人したって、来年受かるかどうか分からないんだから…」と
電話して確認したら、明日にでも行けば、間に合うということで、それで僕の人生が決定された。のだが、困ったのはお袋で、
話がそんなようになるとは思ってなかったので、お金の用意ができてなかったのだ。
すると叔父が
「これを持っていけ」
そう言って、香典の中から、百円札の塊を二個、渡してくれたのだった。そう、レンガのような塊だった。
忘れられないできごとである。
そして、しばらくは、東京のその叔父のところに居候させてもらって、僕の人生が始まったのだった。
電話を受けた後、そんなことを思い出していると、
「昭和が終ったんだな」とつい。
人生別離足りる
「勧君金屈卮 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離」
「どうぞ、この盃を受けてくれ どうぞなみなみ注がせておくれ
花に嵐の例えもあるぞ さよならだけが人生だ」(井伏鱒二)の訳詩が…
まさにまさにまさに…
「人生別離」
「さよならだけが人生」とは言うけれど…
なんなんだろうね、人生って…
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