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実を言うとこの写真、2年程前に撮った孫の写真なの
今回、動きの中で捉まえた写真が欲しかったので、データボックスから探し出したの。
実はね、今回、カメラマンとして、ある所の出店サービスに応募したら、どうぞということになってね、で、出店にあたってサポートしてくれてりる人が、こういう写真があるといいかも知れないというので、そうだ━と思って引っ張りだしてきたのである。
この写真を撮った時、こういう時代がくることは、予兆として捉まえていたのである
思えば、この写真を撮ったのも、家族写真とかを撮るサービスが、いづれ本格的になってくるだろうということで、それを意識して撮ったものだが、
その頃は、あまりにもギャラが…ということで、止めた。のだが、日銭稼ぎをするようになると、それでもいい方なので応募したのだった。
一旦一線を引いた身なのだから、ギャラに拘らなくてもいいというのが、決断の理由だった
やっぱりね、シャッターを切って、それで稼げるのなら、ネェ…
昨日だったか、同じようなことを書いたが、やっぱりやっぱり、川喜田二郎博士(KJ法)がが本の中で言っているように、予兆というのはあるんだね。
数年前からのこうした思い(トラックレコード)を見て、そう思ったのだった。
高齢になるとね、少なくとも、収入というのはとても大切だから真剣に考える必要(お金のない僕にはね)があるのだが、
働く(働きたい)と言ったってねぇ、若い時とは違うから、そういう意味では、日銭稼ぎの仕事、とても有難いので、担保として大事にしなければね。だから、週に3日位は、その仕事をやり、依頼がくれば、写真の仕事もやってと、ちょっと欲張りな考え方をしているのである。
ところが、こうして動き始めると、面白いことに、ネットで知り合った人が、
「僕がマッチングしますから出張カメラマンやってくれませんか」という誘いが被さって来たりして、
「やっぱり、そういう時代が来たんだな」と思っているのである。
道具に慣れる、それが僕の今の日常なのである
年をとっても、そういう誘いがくるということは、まだまだ捨てたものじゃない…
昔から、「芸は身を助ける」という諺があるが、まさにまさにと、実感しながら、仕事で使っていた一眼レフ(デジタル)の埃をはらい、慣れるために、コンデジはやめて、もっぱら、重いカメラを持ち歩ているこの頃なのである。
そう、道具はやっぱり、体に馴染ませておかなければ、いい仕事はできないと思っているのである