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スマホで撮影 レンズの汚れがつくった幻想的雰囲気

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怪我の功名

習性って面白いね、
現役で写真を撮ってた頃から
いい被写体(写すべきもの)に遭遇したら、
迷わず一枚、
シャッターを切るというのが僕の法則だった。
写っても写らなくてもいい、露出なんかどうでもいい。
とにかく一枚シャッターを切る。
なぜか、そういう癖がついているのである。
でも、

アッと思ったらとにかくシャッターをきる

その癖によって救われた経験が幾度もあるのだ。
今回の失敗は、
レンズが汚れていたこと。
首にぶら下げたり、
ポケットに入れたり、
バックに入れたり
結構、
雑に扱っているから、
レンズも
時に掃除してやらないと曇ってしまうの…

今回は画面を見た瞬間に「アレッ」とおもったんだけど、
癖でシャッターを押していたの。

で、
この後、
掃除して何枚か撮っているのだけれど、
この写真の雰囲気が良かったので、
これでいくことにしたの。

撮ったのは、西武新宿線の東伏見駅から武蔵関公園に行く途中にある河原

白鷺
綺麗だもんね、
つい撮らされてしまう…
アップした写真
全体に霞がかかったみたいで、
ファンタジックであり、
神秘的でもある

ソフトフォーカス

専門用語で、
こういう雰囲気の写真を
ソフトフォーカスという
女性を撮る時によく使うのだけど、
効果的に使うと
いい雰囲気を作ってくれるのである。
35㎜(フイルムのサイズカメラ)の場合は、
そういう(ソフトフォーカス)のフィルターも売っているが、
ワセリンを使ったり、
女性用のストッキングを使ったり、
モデルとカメラの間に紗を張って、
それを透かして撮ったりするのだけれど、
今回は、
レンズの汚れがソフトフォーカスのいい雰囲気をつくってくれた偶然にできた雰囲気なんだけれど
シャッターを押したのが僕だから、
僕のクレジットを入れておいた(笑い)

写真に「かくあるべき」という定石(概念)はいらない

写真というと、
なぜか皆
「かくあるべき」という概念のようなものを持っていて、
その概念に近づけて撮る方法をハウツーとして書いているのだけれど
「プロの写真のように」とか「こうすれば…」ということを書いた指導書が多いのだけれど、
表現の世界に、
そんな概念(いい写真という基準)はないと僕は思っているのである。

写真にうまいも下手もない

「OHと自分が気に入ればそれが一番」と僕は思っているのである
そういう意味では
失敗というのもおかしいんだけれど、
今回の場合は
意図した撮影方法ではなかったということで失敗とつい
言ったのだけれど
ソフトフォーカスを意識していれば
失敗ではなくなるよね
それで思い出した

 

囲碁の呉清源氏の言った一言が僕に大きな影響を与えてくれた

昔、囲碁の呉清源氏(日本棋院名誉客員棋士・昭和の棋聖とも呼ばれている)を取材したことがある。
その時何を思ったか
「定石というの、あるんですか」と
なんて馬鹿な質問を(今でも恥じている)
すると
ハハハと笑って
「定石、そんなものプロにはありません…」
と一言
定石などで打っていたら負けるよね…
以来、
何ごとにおいても、定石(常識)は捨てることにしたのだった。
特に麻雀では…
だから、
筋待ちというのを徹底的に嫌っていたら
麻雀仲間の女性が後ろで見ていて
「信じられない」
そう言って
首を傾げていた。
それでも、
勝負は勝つか負けるかだから…
麻雀は打ち方の問題ではないのだ。
そう思っているのである

 

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