つれづれ コラム フォトエッセイ

サイレントナイトを楽しむ

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静かに夜は更けてゆく

「オッ 今日はおとなしい舞台設定だね」
「クリスマスってね、毎年、お店が暇なのよ」
「クリスマスだから、賑やかと思っていたら違うんだ」
「だって、この日は、家族でしょ」
「そうなんだ、みんな家庭があるものね…」
「サンタクロースやらなきゃいけないものね…」
「なる程、だから“サイレントナイト”なんだハハハ…」
「じゃぁ、もう、お店閉めて寿司でも食いにいこうか」
「そうしようか」

僕が遊んでいた頃の歌舞伎町(僕が行っていたクラブだ)はこんな感じだった。

ボーリング、カラオケ、占い師がやっていた高田馬場のスナック…
夜中になんと焼肉、よく行ったよね(笑い)
そんな生活を続けていれば、そりゃ、心筋梗塞にもなるわね。
両方の瞼の上に出ていたコレステロールの塊、大きな高脂血症、今は手術で取り除いているが直っているわけではない。

おい いい高脂血症の標本がここにあるぞ

倒れて入院した時には、院長回診で
「みんな集まれ、これが高脂血症、いい見本がここにあるよ」
なんて言われたりしてね。
しかし、あれからもう10年以上になるが、薬も飲んでないのに、なんの問題もない。
「エッ なんで薬やめたか」
「だって、あれ飲むと返って調子悪いんだもの… だけど今は、糖尿の薬飲んでいるけどね…」

クリスマスの話からとんでもないところに流れているね(笑い)

そう言えば、昔、ホテルの支配人をやっていた女性(アゲインシングル)がよく言っていた。
「離婚してから、いろんな人と知り合いができて本当に楽しいんだけど、クリスマスとお正月はダメなの。だって家族のある人は、みんなそちらに行くから、誰も遊んでくれないんだもいの」
確かに、今、一人でいると、その気持ちがよくわかる。
孤独は嫌いじゃない。
むしろ好きだが、時折フット、誰かと話したくなる時がある。
友達がよく
「おい、行くか」
そう言って誘ってきていた気持ちがよくわかる。
「なんで、2万も3万も使ってお前を呼び出しているかといえば、やっぱり、寂しいんだよ。しかし、一緒に飲めれば誰でもいいと思うんだけどね、それが、そうはいかないんだ。お前って、本当に不思議な奴だな…」
そう言って、よくご馳走してくれた。
懐かしいね。

昨日が僕の仕事納め

しかし、時間が来れば、つい、起きてしまう。
習慣って凄いと、つくづく思う、
来年に対しての期待、
そんなものは何もないけれど、もう暫くは、元気で、自遊を満喫できればと思うだけ。

はは、今日もまた、何を書いているのか分からなくなってしまった。ハハハと笑ってごまかそう。

-つれづれ, コラム, フォトエッセイ

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藁葺き屋根の古民家(写真参照)
三間流れの座敷で、冷たい水で絞られた御絞りが、なんとも気持ちがいい。
上がり框を上がって、黒光りのする板の間をちょっと歩くと、そこがお座敷。

11時開店なのに、すでに満席、なくなると売り切れ御免
注文するのは、蕎麦がきと、稚鮎の天ぷら、舞茸の天ぷら、時に鮎の塩焼き、澤乃井の「超辛口」セイロ蕎麦、デザートに冷たいおしるこ。
おしるこは別にして後の品書きは、すべて一人前を二人で食べて丁度いいくらい。
やっぱりいいねぇ、天然のクーラーで、座敷に座って食べる、蕎麦屋の雰囲気。

ダリア ラベンダースカイ 大輪の華やかさが人気らしい。

アッいけないダリアだったね、
そこにオリジナル性が残っているのかどうかは知らないけれど、「美しい花」という意味においては、そういうことはもはやどうでもよくて、それを見た人が「美しい」と感動すれば、それが花(華)なんだよね、と僕は思う。
そして、写真とは、その美しさをどう伝えるかということだと思うけれど、なかなか難しい。だから、何回も何回も、年年歳歳、その季節がくれば、その花を撮っているのだが、
「よっし」というのは、なかなかできない。

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名前:クボッチ

写真好き トレンドを中心に書いていきます