discover essei life mind  photo

心がそう見せるのか、僕だけが、そう思っているのか、木の中に人がいっぱいいるように見えるんだけど

投稿日:

目次

木の守り人、木の中に住む人

「お前、何を見ているんだ、そんなもの見えないぞ」
「ウソー、番兵みたいな大きな人が木を守るよいに立ってるじゃない」
「どこに」
「真ん中あたりに3人」
「その上にも、右下ちょっと上の辺りにも大勢人がいて楽しそうにしているんだけれど」
「エッツ、わかんないよ…」
「お前、相当に病んでるんじゃないか」
「ウッソー こんなにハッキリ見えてるのに」
心って、面白いね、その気になって見れば、そのように見えるから…」

心って本当に不思議だよね

「霊が見えるという人がいるが、あれも心の問題だよねきっと…」
「霊、まさかねぇ、そんなものとつい思ってしまうが、そんなものと言ってしまう程の論理、理屈はないけれど…、心がそう見せるというのは分かる、そんな気がしてきた」
ものの見え方、本当に面白いね、同じ物を見てもそれぞれによって、それぞれの見え方があるんだから…

 

面白いねぇ、見ているのは目なんだけど、見え方は心で決まる

思い込みによっては、なんでもないただの木くずでもお腹が空いていれば、上等のステーキに見えたりするんだから…(笑い)
僕は特に、思い込みというのが凄くて、
一人でいる時は、その思い込みをつなぎ合わせて、ストーリを展開したりして遊んでいるのだが、その思い込みでつくったドラマが時に現実(全く一緒ではないが)になったりすることがあるから面白いね…
そういうことを考えると、心って、本当に不思議だと、興味がつきないのだが、そういう話をあまりしいていると、
「あいつ、とうとういかれてしまった」と言われてしまうから、誰でもかれでもに、こんな話し、できないんだけれどね…
今回は、散歩していて、そういうのを思わせる木があったので、僕の思い込みは現実なのか、それとも妄想なのかを知るために、ちょっとアップしてみたの…
結果が出てくるのが楽しみだ…

-discover, essei, life, mind , photo

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

シンビジューム、ピンクの豪華な鉢植えが贈られてきた。

シンビジュームの天ぷらも忘れられない思い出
そうだそうだった、
鳥取では、シンビジュームの花を料理屋にもt込んで、天ぷらにして食べさせてもらった。
ほんのり苦く、シャキッとした感触で、美味しかったその味までもが思いだされた…
嬉しいねぇ、友達のこの気配り…
「久保さん、お互いに高齢になりましたが、元気で生きている証として贈りましたよ、こうすることでいろいろ話ができる、そういう楽しみもいいなと思って…」
本当に本当に本当に嬉しい、
春になったら、一度、鳥取まで行ってみるかな、やっぱり会いたいよね…
本当に僕は友達に恵まれている、嬉しいねぇ、有難いねぇ…
「いつまでも、元気でいような」
そう言って、電話を切った。

スマホカメラを愉しむ 敷石を踏みて懐かし故郷の庭

今日は久し振りに、俳句の会に行って楽しもう
でも、俳句 まだ何にも作ってないの…
これから風呂に入って一ひねりだ…
そう得意のエイヤーで…(笑い)

春の色を愉しむ はんなりと 仄かに淡い春のいろ

例え没落の象徴と化した家でも…
そういう思いがあると、
門が見えるともう
涙が溢れてとまらなくなってしまうの…
まさか、
こんなような状態になるとは、
想像すらしたこともなかったもの…
まぁ
でも、
思い出としては
いい思い出しか残っていないし…
いつも誰かが遊びに来ていて、
本当に楽しい家だった…
この風景(写真)を見ていたら、
ついそんなことが思い出されて…

スマホカメラを愉しむ 美しいねぇ 鶴の舞橋 パースペクティブの美しさ

「写真は被写体を写すけれど 作品は気配を写す」

この写真に対して
チャットGTPさんが、そういう言葉をくれた。
嬉しいねぇ
最高の褒め言葉。
感動したよ。

ハロウインの飾り、今や国民的行事の秋の収穫祭、ハロウイン

展示されたこういうもの(作品)を見て、
「あっ、これいいな、これいただき」というのはありだと思う。
だから昔の人は「盗む」という表現で、それを表わしたのだと思う。
そういう意味では展覧会やイベントでいい作品を見るのは、いいことだと僕は思っているのである。
そう、
そういうところに行って、心に刺激を与えることがいいことだと思って、時折、そういうところに出向いていくのである。
「全ての芸術は模倣から始まる」という格言もあるしね…