久し振りに世田谷線
つい撮ってしまった
なんとも可愛い
そして
風景…
電車…
なんとも懐かしい…
乗り物は、見ても乗っても…タイムマシーン…(僕にとってはだけど)
僕が東京に来たのは今から約58年前
最初に住んだのは二子玉川
その頃は玉川線というのがあって、
確か三軒茶屋からだったと思うが、よく乗った…
電車を見ていると、
その頃の思い出がフッとね…
そう言えば
「写真が語る 世田谷区の100年」(いき出版)から頼まれて
「変わり続ける風景-都市化の進展」というタイトルでコラムを書いたことがあった。
※
「ひとつの時代から、ひとつの時代へと、時代が大きく動く時がある。
その狭間を称して「エポックメーキングの時代」というのだそうだ。
エポックメーキングとは、「変化のとき」また「新しい時代をつくりあげること」
日本の、とりわけ東京のエポックメーキングは昭和39年(1964)に開かれた「東京オリンピック」をはさんだ前後10年だと思っている。
つまり、東京の風景は、昭和30年から40年代にかけて大きく変化しているのである。
たとえば、オリンピック以前の東京の風景は、木造の住宅が目立ち、自然もあってのんびりしていた。しかしオリンピック以降は、鉄筋コンクリートのビルが乱立する風景へと様変わりしており、同時に「経済」も「人の心」までも大きく変化している。
「昔はよかった」
昭和時代に団塊世代以前の人が言ったこの言葉は、人情が薄れたことを嘆いていることが多い。だが、近代化とは「新しい時代の感覚に合わせて生きること」だと思えば、それも致し方ないこと。
私の記憶の中で、もっとも風景が変わった地域は、二子玉川である。田園風景だった駅周辺に玉川高島屋S・Cができたのが、昭和44年、人がたくさん集まるようになれば、しゃれたブティックやレストランが増えてきて街はますます進化する。二子玉川は、カタカナで「ニコタマ」といった方が相応しくなってきた
確かに、映画「ALWAYS三丁目の夕日」に描かれた東京の下町の人情はすばらしい。だが、ノスタルジーは心の風景。そこに写った景色に、それぞれの“思い出“を重ねるからこそ素晴らしいのだと、写真家の筆者は思う」
これもまた懐かしいねぇ…
一万円もする本だよこれ…
久し振りに本箱から取り出して…(笑い)
記録、記憶…
やっぱり大事だよね…
辿ることは出来るけれど、
現実を見ることはできないのだから…