discover essei phone photo

スマホカメラを愉しむ 新春の門を開きつ紅葉(もみじ)なお

投稿日:

目次

もう正月というのに なお紅葉(もみじ)が燃えている

移りゆく季節(時節)
その変わり目を意識したんだけど…
僕の感覚では、
道がそれを表してくれたと思っているのだけれど…
絵としては
なんていうことのない風景なんだけど
嗚呼とつい…
そう思ったの
道…
これが効いたね…(自画自賛 笑い)

自画自賛いいねと、さすが元ビジネスパートナー

こんなことを言っていたら
遊びに来ていた
元ビジネスパートナーの女性に
「自画自賛 自分で褒めてメデタイねというのはどう」
なんてやられてしまった…
「いいんだよ 誰も褒めてはくれないし」(笑い)

こんな遊びもいいよね

上の句と下の句のつもりで…(笑い)
だって、
今日からもう、
正月の準備だもの…(笑い)
エッ
独りなのに…
ちゃんとやるの…?
ハハ…
そうだけどサー
ブログ書いているからネタ作りで…
遊び遊び…
僕にとっては、
それも遊びの一種なの…(笑い)

昨日 久し振りに「茶とあん」へ
(阿佐ヶ谷の和カフェ コーヒーはない」
で、
「来年から僕は喋るの控えて
軽さを消そうと思ってんの
そうしないと軽薄にみられるから」
とやったら
「そんなガトクさん、ちっともオモシロウネェ…
軽薄なところがあなたの魅力なのよ」
とやられてしまった
これって、
褒めてんのかねぇ…(笑い)
やっぱりこれ
いじられてんだよねぇ…(笑い)
しかもそこにいた知り合いみんなが
明るい笑顔で笑いの喝采を…
これでは気取っても通用しないね(笑い)
無駄なことはしない方がよさそうだな…
今年一年
たくさんのいいね
ありがとう…
とても嬉しい感謝
来年も宜しくお願い申し上げます
来年もまた
楽しい人生を愉しみます…
良いお年を…

-discover, essei, phone, photo

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

スマホカメラを愉しむ 春は色 いろいろな色 あら楽し

写真とは何も形を撮るものではない…
色を愉しみ 光を楽しみ、
リズムを楽しみ…
夢や希望や風や音や宇宙館…アトモスフィア…
そういうものをいろんな形で表現してもいいのではないかと
そんなことを思ってね…
こういうので写真集ができたら楽しいよね…
(豆しばさん これ読んでね さりげなく… あなたが頼りなんだから…笑い)
どこまでやれるか分からないけれど…
やって見よう
そう、
自由に…
もっと自由に…
写真という概念を破って…(笑い)

お米が命を繋ぐ時 もう古い写真なんだけど貴重な写真だか時々 おそらく誰も撮ってない写真と思う

この写真が撮れるのは8月の丁度今頃
しかも時間は
晴れた日の午前9時から⒒時の2時間だけなの
照りつける太陽の中で、
田んぼから上がってくる熱気で汗をぬぐいながら観察していると
いろんな方向から雄しべが雌しべのある方向を目指して迫ってくるの
そうしたら雌しべがスーと籾の扉を開けて…
そしてそれが終ると、
スーッと籾の扉を閉じてしまうの。
今頃の時期
夕暮れ田んぼにいくと、
白い花が風になびいているように見えるのだけれど、
あれは
「兵者共の夢の後」なのである。
この写真を使った
「お米の花の神秘」
電子書籍にはしているのだけれど、
あらたにできるようになったペーパーバックにしようとすると
写真が少なくて柄が出ないの…
ペーパーバックにするには100ページは必要だから…
だけど、
もう一回写真を撮りなおして(撮り足して)という根性はないから時々
こうして忘れないようにしているんだけれど、

富士山、キレイだねぇ…やっぱり霊峰

富士山には、「カイ(甲斐)でみるよりスルガ(駿河)いい」という言葉があるんだけれど、これは、駿河方面から見た富士山。
真ん中が窪んでいるのですぐ分る。
この窪みは、宝永大噴火の時にできたものらしい。
宝永大噴火(ほうえいだいふんか)は、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火で、富士山の噴火としては最も新しいものでとか。

写真を愉しむ 風が吹く 風に揺れる青い花涼し

心頭を滅却すれば火も亦涼し…
昔の武士の侍…
凄いよねぇ…
いつでも覚悟ができているのだから…
山本周五郎 アリアさんの朗読 やぱっぱりうまい

スマホで撮影 レンズの汚れがつくった幻想的雰囲気

写真に「かくあるべき」という定石(概念)はいらない
写真というと、
なぜか皆
「かくあるべき」という概念のようなものを持っていて、
その概念に近づけて撮る方法をハウツーとして書いているのだけれど
「プロの写真のように」とか「こうすれば…」ということを書いた指導書が多いのだけれど、
表現の世界に、
そんな概念(いい写真という基準)はないと僕は思っているのである。