目次
食べるとは、自然の恵みをいただくということ
生きることは食べること。
食べるとは、
本来は、自然の恵みをいただくこと。
うまいことできているよね、人間の身体
本物の食品には、生きるために必要なビタミンやミネラルが豊富にあって、キッチリそれを摂っていれば、酵素(体内酵素)が補酵素(ビタミンなど)を体内(腸管の内側)にうまく導いてて、免疫を調整し、さらに自然治癒(ホメオスタシス)という防御システムも働いて、健康が維持できるようになっているらしい。
科学の発達は、生態系のメカニズムを狂わしてしまった
ところが、科学が発達し、食品を化学の力でつくるようになって、生態系のメカニズムに狂いが生じてきた。
コロナ騒動の原因の根本は、化学食品?
今回のコロナ騒動の原因は、そこにあると、僕は思う。
つまり、栄養のバランスが悪いから、病気を引きおこしやすくしている。
そこにウイルスが来ると、ドッといってしまうというワケ。
フェイスブックやインスタグラムの投稿で、
こんなの食べました─という写真を見ると、
「こんなのばっかり食べていたら」
と素人目でも思ってしまうものが多いのは気のせいだろうか。
僕など貧しいから、とても人様にお見せできるようなものは食べていないから
「イイナァ」
というひがみから、つい、そういう目線で見てしまうのかも知れないけどね(笑い)…
人が活動を控えると、自然は生き返る。これ、素晴らしい教訓
コロナによる自粛生活の影響で、
ガンジス河の水がキレイになった。空気が澄んで、見えなかったネパールの山肌が見えるようになったという、SNSの情報を見るにつけ、
「そりゃ 自然も怒るはなぁ」
と、思ってしまうのは、
高齢者、世捨人だから言えることなのだろうか…
だけど、これはとても大事なポイント。
京都竜安寺にあるつくばいに書かれた文字が意味するものとは
京都に石庭で有名な竜安寺というお寺がある。
そのお寺には、円形の石の真ん中が四角く彫られていて(漢字の口という字)、口を中心に上に五と書いていて「吾」右側には、すい、ふるとりで「唯」
下にいって、口に足の下をつけて「足りる」そして、その左上、口の横に矢を書いて「知る」という字が書かれたつくばい(手を洗う水を貯めているもの)がある。
「吾 唯 足りるを知る」と読む。
つまり、ほどほっどのところで満足しなければという意味。
欲望を次から次にと求めていたら、危険ということか。
ウーン、奥が深い。
際限のない欲望の追求、
どうやらそれが、災害や、今回のウイルス騒動の元になっている。
言い換えれば、それは人災。
そろそろそういうことを意識しなければと思うのだけど…
こういうことは、高齢者、世捨て人だから言えることなのだろうか…