名札には暁雲と書かれていた。
「暁雲は、夕焼けから生まれた子供。夕陽なくして暁雲は生まれない」と太宰治は言っている。
やっぱり、感受性が違うんだとつい、思ってしまう。
この花に「暁雲」(ぎょううん)と名前をつけた人も、明け方の雲に、何かを感じたんだね、そう、明け方の空の色には、特別な色があるのだ。
朝陽の出る瞬間、一日で一番美しい時だと僕は思う
漆黒がかすかに薄らいで、青色が強くなってくると、やがて空はピンクに輝き、ユラっと、真っ赤な太陽が姿を現したかと思うと、あっという間に太陽は、オレンジ色の透き通った太陽に変わり、朝がくるのだが、暁とは、まさにその瞬間のこと。
それは、神秘であり、一日の中で、一番、美しい時と、写真を撮りながら、毎回思っていたことだった。
思わず頭をたれ、手を合わせてしまいたくなる朝陽の神々しさ
日本の最東端、納沙布岬にあるオーロラタワー
(オフォーツク海を眼下に見る96メートルの展望台 このタワーは、友人の持ち物)から見た朝陽が日本で一番早い朝暘かと思っていたら、正確には犬吠埼の方がちょっと早いのだそうだ。が、
どこで見ても、その美しさは感動的で、思わず頭をたれ、手を合わせずにはいられない、そんな神々しさを感じるのである。
沙漠の朝陽も、忘れえぬ風景として、記憶というファイルのなかに、きっちりと収まっている。
人生ってなんだろう つい思わずにはいられない、人との別れ…
昨日、一昨日と、叔父を送る儀式に参加して、ちょっと疲れた。
だって、このところ、ネクタイをして、ちょっと緊張して姿勢を正していることなんてないもの。
エッツ、そりゃ、コロナの影響もあって、極めて少人数の身内だけのものだったけど、やっぱりね、そう「親しき中にも礼儀」という言葉があるしね、それに、ちょっと目を瞑ると横から姉の手がポンポンと伸びてくるから、眠気も必死でこらえたよ。
でもやっぱり行ってよかった。
こういう時でなければできない話もいろいろあるからね…
それにしても、人生ってなんなんだろうとつい思ってしまう。
名の知れた会社の社長をやり、大きな家もあって、子供にも恵まれ、幸せそのものだったと思うけれど、去っていく時は、誰も一緒。
「息子(従兄弟)に大きな家で、悠然とできていいね」と言ったら
「一番小さな自分の部屋を使っているだけで、却って寂しい」と
「岡山のあの家、どうするの」といったら、
「考えただけでうんざり」と。
確かに、確かに…
今や独り身、高齢者の僕、動けるうちにどんどん片付けて、身軽にしておかなければと、あらためて自分に言い聞かせるのだった。