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美しいね、見ていると、心が洗われる、そんな気がする。
本当のことを言うと、
スイレン、随分撮ってきたから
「もういいや」
と思っているのだけれど、こんなに美しいのを見ると、やっぱり撮っちゃうよね。
もう一つ本音を言うと
美しいからと言って、同じ花(スイレンという意味)を沢山撮っても、もう書くことがないと思うから、「もういいや」と思っている。のだが、
キレイな花を見るとやっぱり撮ってしまう。
そう、スイレンの花がいくつあろうとも、コレクションという意味では、やっぱり撮っておかなければならないのだ。それにしても、この花、美しい。
こういう角度で、イメージ通りに写真が撮れるって、奇跡、そのように思っているのである。
色、形、姿…醸し出す雰囲気、いいね、
いつまで見ていても、飽きがこない。
それどころか、
スーと、心が落ち着いてきて、浄化されている、そのように思えるのである。
「なに、そこまで汚れっちまった心はもう、浄化できないって」
「うるさい お前は誰だ」
「何、オレ」
「…」
「僕は何もそんなことは考えていないよ」
「何 オレの中にいるもう一人のオレ」
なんだかわけが分からなくなってきた。
これに対して、もう一人の僕(実態の人間)が反論する
「そりゃねぇ、長い人生の中では、いろんなことをやってきたよ。
でも、どういう訳か、ギリギりの所でいつもブレーキがかかって(誰かがブレーキをかけてくれたの)…」
「何、そのブレーキをかけたのが、オレというアナタなの」
なんだかややこしいね、
でもお陰で
「祖にして野だが卑ではない」を生きてきたと思っているから、それには感謝。
人生を結果から見ると、まぎれもなく、それは導かれたものだった。そのように思えるのである。
昨日、インタビューされた(昨日の記事にもちょっと書いたが)時。
「高齢になると、人生を結果から見ることができるんです」と、冒頭に僕が振ったところ、えらく興味を持ってくので、ちょっとそれを。
「結果から人生を見る」
これは高齢者でなければ分からないことだと思うけれど、結果から人生を見ると、僕の場合、「導かれてきた」そのように思うのである。
そりゃ、人生の中では、大きな願い事などいろいろあって、ことごとく、その思いが裏切られて「ああ、もうダメ」と思ったことも随分ある。が、
今、結果からそれを見ると、それで良かったのだと、思えてくるから面白いということ。
ちょっと長くなるが、
そもそも、僕の人生は大学受験に失敗したところから始まるというのも、やっぱり意味があったのである。
これがもし、大学受験が上手くいっていたら、おそらく、僕は、いわゆる営業職のサラリーマンになっていたと思う。
しかし、僕は子供の頃から、理屈ぽくて、ちょっと変わった性格だったので、おそらく途中でドロップアウトしてたと思う。
そうなれば、僕の人生は、押して知るべしだったと思う。
ところが、そんな性格でも、なんとか人並みに生きてこれたのは、特殊な仕事だったから。
そう、カメラマンとかライターと言えば、多少癖があっても、却ってそれが受けたというのがあって、なんとか、生きることができた。そういう意味で、「導かれた人生だった」と思っているのである。
占いなど、未来を予測したがるけれど、結果から人生を見るというのも面白いので、それをちょっと書いてみようかなと最近思っているので、そういう話をしたのだが、結構、喜んでもらえた。
そう、インタビューはする方もされる方もインタビューアのである。
またまた、スイレンの話から、とりとめのない話へ…
ここは、笑ってごまかすしかないハハハ…
AdieuLami(アデユー・ラミ)
さらばわが友…
グッドナイト