この花の中に、観音様の姿が僕には見えるのである
デザイン(図案)に惹かれて撮ったのだけど、それよりは寧ろ、この花の中に僕は、観音様を見だしていたのである。
エッ、何処、
なかなか分からないだろうけど、赤い所の上の左の方、
なんともスッキリとした感じで座っている。
こういうのって、もちろん、思い込みだと思うけど、
そういうように見えるものは、そうだと思って大事にしているのである。
観音様はお堂に居るとは限らないと僕は思うのである
これは僕の勝手な解釈(勝手に思っていること)だけど、
仏様はいつも、お寺(お堂)にいるのではなく、神羅万象、いろんな所にいて情報を収集しているのではないかと、僕は考えているのだ。
だって、自然の写真を撮っていると、
「ああ、あそこに」と思えることが多々あるんだもの…
で、「それはそれでいつか」と思いながらコレクションしているのだけれど、
最近は、特に、そういうものに遭遇する機会が多くなっているように感じているのだ。
多分、それは僕の意識の問題で、
そういう思い込みがさらに研ぎ澄まされてきて、そういうふうに見えているのだと思うのだけど、発見すると、やっぱり意識して撮るよね…
そういう発見も、最近の楽しみのひとつになっているのである。
ところで、観音様とは何
そう思って調べてみると、
世の中のありとあらゆる人を救うために様々な姿に変身すると言われていると。
しかし、通常は、人間に近い菩薩の姿をしており、美しくて優しい女性の仏様というイメージなのだが、本来は男性だったらしい。
僕が持っている観音様も、雰囲気としては女性、しかも美人で、優しい顔をしている。
だから僕は、観音様が好きなのである(笑い)
正月にこの写真を持ってきたのも、実はそういうイメージがあってのこと。
「南無観世音菩薩様 南無地蔵尊菩薩様」
何かの折にはこの言葉を唱えなさいとお袋から言われていて、子供の頃から呪文のように唱えていた。
何度も何度も唱えていると、嫌なことはどこかに消えて、妙に心が落ち着くのである。
聞けば姉も、何かにつけて、心の中でこの言葉を唱えているらしい。
実際に効果があるのかどうかは分からないけれど、
何かの折には、あれがあるというのは、大きな心の支えだったことは確かである。