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懐かしい記事が出てきたのでつい…
これは、「望星」(東海教育研究所発行)から依頼されて、取材して書いたもの。
どこでどうして知り合ったのか、スッカリ忘れてしまったけれど、この雑誌の編集者に年賀状を出したら、なんと、その文章が気に入ったということで、「伝統を守るというテーマで取材に行ってくれないか」と。
そうだった。
勿論二つ返事で引き受けて、京都へ。
だから、確か正月明け、その頃だったと記憶している。
「鍵善良房」は、よく知っていた。
姉が京都の大学に行っていたから…
姉と行ったのか、その姉のダンナ(義兄 当時は恋人)と行ったのか、そこのところはちょっと忘れたけれど、ここの「くずきり」何度も食べていたからね。
綺麗な螺鈿の深い器に入ってくるの。
氷水で冷たく冷やされた平たくて長い白い葛切りを、黒蜜につけて食べるの…
冷たくてのど越しがよくて、とっても美味しい。
この品書きに、和紙に刷られた、作家水上勉氏の「くずきり」という短文が添えられていて、それが、とても素晴らしいのだ。
勿論、それも知っていた。
アッ思いだした。
ここへ初めてつれて来てくれたのは、やっぱり義兄。
大学の教授や俳優、文学者、そういう人たちがお気に入りの自分のカップを預けている四条河原町の喫茶店とか、珍しいところにいろいろ連れて行ってくれたのだった。
鍵善、くずきり、水上勉、僕の記憶のなかでは、セットになっているのである
「小さい頃、若狭の野山でくずの花をみた。紫色のふさになって咲くこの花は、秋末にはさや豆のような果になっていた。京都の『鍵善』にきてくずきりをたべていると、故郷の土の香りがするのは私だけであろうか…」
この文章が、くずきりの味を、いっそう、引き立てているのだった。
やっぱりキチっとした文章いいね、そう思いながら今書いているのは電脳文書(笑い)
嬉しいね、こういうのがフッと出てくると、
懐かしくて、つい読みふけってしまう…。
この文章は、今のような、電脳文書ではなく、ちゃんとした文章で書いている。
やっぱりキッチリとした文章いいよね…
そういいながら、つい慣れてしまった電脳文書でまた書いている、その感覚が面白い…
キーを叩くと、やっぱり、そういう風になっちゃうのかねぇ(笑い)
余談ながら、この一本の原稿から
「女性の時代をしなやかに生きる」という連載が始まったのである。
なんと、そのことが、「国会図書館デジタルコレクション」というので紹介されているのである。
なんと、なんと、なんと、僕の名前をGoogleの検索窓に打ち込むと、そういうことまで出てくるのだ。
改めて、ネットの凄さを知らされた。