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狭いトンネルの向こうにパーと広がったパノラマは、長い瀧のある風景だった。
金剛の瀧
どこから来てどこに行くのか、この地形ができたのがいつ頃か知らないけれど、
絶えることなく流れ続けてきた瀧、自然の景観を見ていると
「自然って凄いなぁ」と、つくづく感じる。
瀧もいいが、岩から沁みだしてくる水もまたいい
岩から沁みだしてくる水のパワー、
いうならば、この空間全体が、マイナスイオンの充満した空間になっていて、
生物としての人間に最も必要な酸素に満たされているから、
気持ちがいいのだと、僕は思うのである。
そう言えば昔、空気の缶詰めというのがあったよね…
ぞの発想は、なんとなく、分るような気がする。
そう、誰だって、
澄んだキレイな空気を吸うと、持って帰りたくなるもんね(笑い)
瀧に打たれ、
瀧の水を飲み、
瀧の水を汲んで飯を炊く、
いいね、縄文人の生活…
もう本は買うまいとおもいながらもついまた…
阿佐ヶ谷の古本屋で
「死と生の遊び」
(縄文からクレーまで 美術の歴史を体験する)
━━縄文人、ダ・ヴィンチ、ゴヤ、ゴッホ、ガレ、ガウディら芸術家の多様な世界を訪れ 死と生の深渕に思いをはせる心の旅━━酒井健(魁星社出版)という本
つい買ってしまったのだが、
「縄文の人々のうち、集落に留まっていたのは女たちだった。彼女たちは、火にくべる太い薪の幹の内実を知り、堅果類の実の内部を知り、そしてそれを洗うときの小川や池の波立ちと水紋を知っていた。さらに生活を脅かしかねないほんのささいな異変をも感知していた。彼女たちは、生活の規則性を重視する一方で、研ぎ澄まされた神経で自然の内奥に入り、こともなげに諧謔(かいぎゃく 気の利いた冗談、シャレ ユーモア)にふける自然界の神々の動きを認めては畏敬の念に駆られていたのである」
瀧を見ていたら、本の中に描かれていた、そんな記述が思いだされたのである。
もしかしたら、僕は、ここで瀧を見ながら、
遠い昔の、そういう彼女たちの様子を見出していたのかも知れないね…
例えそれが、
昨日得た知識であったとしても、風景とかと融合すると、なんとなく、嗚呼と思えるのがいいよね(笑い)