目次
木に成ったバナナ
バナナの木
いろいろ見てきたけれど、
これほどの迫力のものは初めて…
バナナにはいろんな思いでがある
僕が子供の頃、
今から60年位前
バナナは超高級品で、
なかなか食べることができなかった。
その頃、日本で売られていたのは台湾バナナで、
ホッコリ、ネットリという台湾バナナ独特の触感で、
とっても美味しい果物だった。
確か、小学校の2、3年の頃だった。
遠足にバナナを1本持って行ったところ
翌日にはもう、
町中の噂になっていた、
そんな時代だった。
なんとバナナひと房をお土産に
その頃、祖父(父方)の書生だった人が弁護士として有名になっていて、
叔母の所に遊びに来ては
よく食事に連れて行ってくれた。
今思えば、多分クラブだったんだろうと思う
薄暗い部屋でカウンターのある店だった。そのカウンターの上にバナナがひと房
「お姉ちゃん凄い、バナナがひと房」
多分、そんなことを言ったのだと思う
帰りにお土産に
そのバナナを持たせてくれ
外車のハイヤーで家まで送ってくれたの。
しかし姉は、そのバナナをなかなか食べようとしない
待ちきれなくなった僕は、
「早く食べよう」とうながすのだが
「もったいない」
そう言って
なかなか食べさせてくれなかったのを今も覚えている。
それが時代とともに…
バナナは高級品から安い果物に様変わりしてしまったが、
台湾バナナはそれでも他の国のバナナよりは高かった。
そして今や台湾バナナは幻のバナナに…
バナナについてもうひとつ
忘れられない思い出がある。
あれは、
ソウルオリンピックの前年だった
ある雑誌の仕事で釜山へ取材に行くことになった。
それを知り合いの月刊宝石の編集者に話したところ
「フェリーで行くのか」
と言うので
「そうだ」
と言うと、
「あれは下駄ばき船といって、
リトル密輸が頻繁に行われているの、
そういう写真が撮れるといいねぇ」と
そこまで言われて撮らない分けにはいかない。
僕はカメラ一台だけ持って下関の港に立った
夕方、下関の港で僕は海を眺めていた
「お兄さん釜山へいくの」
「そう」
「荷物はないの」
「ないよ」
「実は私、
お酒買いすぎちゃって、
兄さんそれちょっと持ってくれないかなぁ」
来た、一気に勝負に出る
「おばさん、いいけど、
俺、
目的をもって船に乗るんだよ」
「なに」とおばさん
「実は船の中の写真が撮りたいんだよ」
「そりゃ大変だ、
ついこの前、
テレビが入って大騒ぎになったんだから…」
「そう、おばさんなんとかならないかなぁ」
そう言って少しのお金を渡すと
「じゃ、
お兄さんね
私と友達で私を撮りなさ」
そういって、
協力をし合うことに
それでもやっぱり写真を撮っていると多少のいざこざはあったけれど、
おばさんがうまく処理してくれ無事に釜山港へ
するとおばさん
「お兄さん、泊まるところ決めてるの」
「決めてない」
「じゃ、私と一緒にくる」
「うん、いくいく」
ついていくと、
油紙を敷いた小さな旅館だったが、
なんとそこで、
日本から持ち込んだ物品の売買が始まったのだった。
凄い、お札が飛んでいる
「おばさん、撮っていい」
「うん」
この時の写真は、
月刊宝石のグラビヤで掲載された。
この頃バナナは韓国では高級果物だった
ちょっと話がバナナとはかけ離れてしまったが、
実はこの頃、
韓国はかつての日本のようにバナナが高く、
旅行者のほとんどの人が、
バナナを持っているのだが
釜山港につくなり買い手が殺到していたということがいいたくて書いたんだけど、
つい余分な話が先行してしまった(笑い)
バナナひと房のプレゼントに仰天した女性
そう言えば、
向こうで知り合った女性にバナナをひと房プレゼントしたら
もう本当に飛び上がって喜んだのを思い出した。
でも、でもでも
フェリーの取材は恐かった。
「こういう取材はこれっきにしよう」と思わずにはいられなかった。