目次
美しいんねぇ光がつくり出す微妙なデティール
こういう風景(風情)いつまで見ていても楽しい
これもやっぱり
「陰翳礼讃」
(近代西洋化によって失われていく日本人の美意識)
というのだろうか…
水墨 俳句 書…
そういう世界でないと、
こういう美意識(日本人独特の感性)も次第に失われていくんだね…
そういう気がする…
日本家屋の障子を透かして入ってくる淡い光の美しさ…
嘗て
ジュネーブでレンタカーを借りてシオン城までドライブしたことがある。
秋だった。
ポプラだったかイチョウだったか忘れたけれど、
お城の近くは黄色い葉っぱの風景がとても美しかった。
しかし
借りた車の色がちょっと濃い黄色だったので、
紅葉の色と同化して、
とても運転しづらかったのが記憶の中にあるが
スイスの紅葉は日本の黄色よりも濃くて、
空気のせいか
青い空にコントラストのハッキリとした黄色が、
見慣れない僕には
とても美しく見えたのだけど、
同じ紅葉(黄色い葉っぱ)でも
日本のものとは全然違うんだという印象が
今だ記憶の中にあるのだけれど、
あの紅葉では、
光りのつくり出す微妙なデティールは愉しめないのではと、
写真(アップした写真)を見ながらつい思ったのだった。
もっとも
こういう光の微妙さを愉しめるようになったのは最近で
それまでは、
やっぱり典型的な紅葉を求めて撮っていたそんな気がする。
そういう意味では、
写真も(感性も)齢とともに変化していくんだなというのをい今
感じているのだけれど、
そのように
変わってくる感じかたを愉しむのもいんだろうねキット…
表現に
こうでなくてはというものはないんだよね…(笑い)
しかし若い頃はイメージありきて、
「かくあるべき」という思いを持ってシャッターを切っていたそんな気がする(笑い)
そうなのだ
写真には
「かくあるべじ」
というものなどありはしないのである
「私はこれを愉しむ だからこう撮る」でいいのである。
だって趣味は愉しむためにするものだから…
皆が皆
プロのような写真を目指したってちっとも面白くない
だって、
ある程度写真に慣れてくると、
ここではこう撮るというのが皆同じになるんだもの…
そう
どこのレストランに行って何を食べても、
みんな同じ…
だって人が求める味というのは大体決まっているんだものね
だったら、
人のレシピなんて無視して自分の思いつきを愉しんだ方が余程か楽しい…
それと同じで、
写真も
自分の世界というのを大切にする方が余程か楽しいと僕は思うだがどうだろうか…
愉しむ写真なら高級カメラを持たなくてもスマホカメラで愉しめるしね…
ハハハ今日も仙人の戯れ事になってしまった…
これも愉しみの一つなのである(笑い)