目次
花の名前、確定するの本当に難しい
スマホカメラで撮って、
「Lens」というアプリで調べれば、
見た目で一致というので
それに似た花がいろいろ出てくるんだけれど
「これだ」と、
自信を持って確定できるものもあれば
「多分」と濁しておかなければというのも多々あって、
発表する難しさを感じる。
僕にとって大切なのは 宇宙観なのである
だから例えば撮った花を使って、
写真集
例えば5月に
「写真集般若心経」
という100ページの本(パーパーバック kindle)を出したんだけれど、
この本は、
「宇宙観を感じる花の写真」と
般若心経(50のフレーズ)のフレーズとを組み合わせて、
右閉本の見開き
左側に花の写真
右ページに般若心経の一つのフレーズと、
その言葉の解釈を自分でしたものを組み合わせているのだけれど、
多くの人から、
「花の名前 なぜ書いてないの」と…
僕の考え方…
僕にとって必要なのは花ではなくて
そこにある宇宙観が欲しかったからである
例えば、
バラの花が欲しかったわけではないので、
「名前を付けるとイメージが限定されるでしょう
だから…」
と知った人には言ったんだけど、
こういう場合は僕は、
情報はあまり与えない方がいいと思っているのである。
しかし、
人はなぜか、
名前とか知りたがるんだよねぇ…
でもそれは、
本当に花の名前が知りたいのではなくて
写真を見て、
おそらく自分では花の名前は分かっているのだけれど、
オーソドックスに花を撮っているわけではないから
自分の概念の枠を外れているから、
「ちょっと確かめてみよう」
そんな気持ちで
「名前は」
と聞いているということが分かっている(いた)からそうしたのである。
同じことは今回出した
「そら空宇宙」にも言えることで
本を手にしてくれた人の何人かから
「どこで撮ったのかは書いてないのね」と
だから僕は
「場所必用ですか」
と聞くと
「そうですよね、
場所が分かっても意味ないわね」と、
分る人は分かってくれるのである。
写真は被写体を説明するために撮っているのではない。
それが僕の考え方なのである。
例えば今回のユリの花
ユリだから撮ったのではなくて
美しいと感じたから撮った、
この花の何に対して僕は魅力を感じたのか…
そこが重要で、
例えば、
この花に何か僕が言葉をそえれば、
そこに一つの世界(宇宙)が出来上がる
そう僕の見た宇宙が…
僕にとって大切なのはその宇宙観なのである。
だから、
この写真に(アップした写真)
例えば
「輝く命」
というタイトルをつければ
それはもはやユリではなく
「輝く命」
という作品になるのである。
そういう意味で
写真は僕にとって、
気付きの一つの部品。
僕にとって大切なのは
何を撮ったかではなく、何を感じたかなのである
何を撮ったかというのではなく、
そこに何を感じたかというのが重要なので、
名前は別段必要ないのだけれど、
ついでだから分かるものは調べておこうとしているだけのことなのである。
また写真は
今の僕にとっては、
ブログを書くためのきっかけなので、
写真がないとブログ書けないから、
その為に撮っているわけで、
何でもいいんだけど、
花は撮りやすいし、
キレイだから…ね
今日ももまた、
頭にたまったゴゴチャゴチャの吐き出しになってしまった
しかしかししかし…
僕にとってはこれもまた
重用なメモなのである