discover essei flower

カワラナデシコとヤマトナデシコ何が違う

投稿日:

ナデシコ(撫子) 一般的には「カワラナデシコ」のこと。

カワラナデシコ、漢字で書くと「河原撫子」。
文字通り、河原に咲いていたということらしい。

秋の7草のひとつに数えられるれている。

それが、平安時代、河原撫子そっくりの花が中国から入ってきて、2つの撫子の種類を区別するために、中国から来たそっくりの花を「唐撫子(カラナデシコ)と呼び、河原撫子を「大和撫子」と呼ぶようになったという説明があった。
ややこしいね(笑い)
ということは、河原撫子はもともとは日本にあった花ということか。
ついでに言うと、

「撫子」とは、「撫でたくなる程愛しい子」という由来説が有力説としてある。

大和撫子は日本女性の褒め言葉、でもそれは明治以降のこと

大和撫子と言えば、日本女性を褒める言葉として使われるが、それは明治以降のことで、それ以前は、男女関係なく「大和撫子」という言葉を使っていたらしい。
つまり、恋は盲目だから、美男、美女に関わらず、好きな人に対して
「あなたは大和撫子のよう」とか、
そう言って、和歌(恋歌)のやり取りをしながら恋を昇華させていたらしい。
和歌とか短歌とか言えば、高尚に思えるが、調べてみれば、今いうところの、ラインとかツイッター
そういうと、なんだかズッコケそうになるが、そんなもんなんだよねきっと(笑い)

写真の河原撫子、僕には仙人の笑顔としか見えないんだけれど…

写真の撫子
「撫でて見たくなる愛おしい子供」とは、僕にはとても見えない。
この写真を見て僕が感じているのは、髭を生やした仙人の笑顔なのである。
でも、笑顔としてはいい笑顔だよね、
僕にはそのように見えるのだけど、どうだろうか…

写真を見ながら、そういうことを想像するのも楽しいね(笑い)

僕にとって、ブログは自分の心のビジュアル化、
そう、内なる自分と対話する手段として、毎日書いているのだが、
休日、一人でずっといると、やっぱりお喋りがしたくなって、ついフラフラと…

行くところは、馴染みの顔のあるところ。

阿佐ヶ谷の「茶とアン」さん、
電車に乗ってでも、やっぱり居心地のいいところに行くよね(笑い)
最近100字のエッセイというのをツイートに書いているのだが、キーワードがないと書けないから、そういうところに行ってお喋りするのがとてもいいのである。
やっぱり秋は、人恋しい…

 

-discover, essei, flower

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

スマホカメラを愉しむ 白い薔薇 この白い薔薇を美しいと思ったのはなぜか…

スマホカメラは、僕の記憶のモルグの中に入っていく
タイムマシーンのスイッチなのだ、
しかし、
このスイッチ、自分の意識で、あの時の記憶をといかないのが
難点なのだけどね…
しかししかししかし…
それが却って楽しいのである

スマホカメラを楽しむ 生垣に咲くモッコウバラが美しい 

昨日は「世界一木を植えた男 生態学者の宮脇昭先生の「偲ぶ会」に参加させていただいたの。
会費12000円で全国から約120人が参加
今のこの時世にしては凄い集まりだったと思う。
その中には知った顔も何人かいて それはそれでよかったのだが
約3時間
挨拶ばかりを聞かされたのにはちょっとね…
なんで挨拶がそんなに重要なのかねぇ…

写真を愉しむ 睡蓮の花は光で語りあう

強硬断捨離、
もうひと踏ん張り頑張らなければ…
それにしても蓄積された人生の垢…
なかなか落としきれないねぇ…(笑い)

「福寿草」 幸福の「福」と長寿の「寿」からつけられた名前らしい 

高齢になると、やっぱり考えるよ、美学として
70歳を超えると、身の周りのものは整理して身軽になっておかなければ━と、考えるのだけれど、本なんか、一旦捨てたのにまた増えてきている、困ったもんだ…
覚悟、悟り、やっぱり難しい…
今日はちょっと寝すぎてしまった上に、コンピュータの動きが悪くて時間ばかりが過ぎていくので、このへんにしとこう、
しかししかししかし…
どこかでやっぱり自分と折り合いをつけて、無駄なものは極力削いでおかなければならないのは確かである

写真を愉しむ いつまで待たせるのよ 一日は長い でも一生は短いのよ

歌は気気持ちがいいね、
大声だして…
気が付くと
阿佐ヶ谷駅から南阿佐ヶ谷を通りこして、
誰もいない夜の道を
歌を歌いながら…
風が冷たくてとても気持ちがよかった…
たまにはこうしてハメ外すのもいいよね…
楽しい酒は本当に愉しい…
しかし今日は、起きるのが辛かった(笑い)

広告


 

名前:クボッチ

写真好き トレンドを中心に書いていきます