写真、それは自惚れの世界だと思う
パッと見て、エーと思うような写真でも、額縁をつけると
ホーという作品?に見えてくる…
面白いね…
これに(掲載した写真に)
例えば「composition」というタイトルをつけて、
「composition」(コンポジション)とは、構成、組み立てという意味。
そんな説明をつけて、展覧会の会場に飾ると、もしかしたらアートとして見てもらえるかも知れないのだから(笑い)
そういう意味で、
写真って「こうでなければならない」という決まりがないから面白いのである。
しかし、自由というのは幻想で、ある意味、とてつもなく不自由なことなのである
「好きにやっていいよ」と言われると、大抵、困ってしまう。
なぜならそれが自由の本質だから。
何の本で読んだのか忘れたが、かつてドイツにはベルリンの壁というのがあって、社会主義の東ドイツと自由主義の西ドイツに分かれていた。
それが1990年10月3日、壁は撤去されることになり、一つのドイツになった。
それは素晴らしいことだったのだが、困ったのは、これまで東ドイツの映画製作に関わっていた人たち。
なぜなら、これまではいろんな制約の中で、出来得ることを探して作品をつくっていたのに、その制約がなくなって、なんでも自由にやっていいとなった瞬間に思考回路が働かなくなったというのである。
そういうのを考えると、「自由に」というのはとても難しいことなのかも知れないね。
僕も自由に憧れてフリーランサーになったのだけれど…
「群れを離れ、一人荒野を彷徨う狼の姿に憧れて自由人となった…」
今から約50年前に、フリーランサーとなったことを知らせる僕の挨拶文の書き出し。
だが、この瞬間から、
「自由というほど不自由なものはない」ということを、イヤという程知らされることになるのである。
しかし、慣れてしまえば、
「やっぱり自由っていいな」ということになってくるのだけどね…
またまた、あらぬ方向に流れてしまった。元に戻そう
写真の話だったよね、
そうそう、写真…
写真というと多くの人が、キレイに写った写真を想像すると思うんだけど、表現としては、キレイもあれば荒れあ荒れ(粒子)ボケボケもある。
適正露出(標準という意味)という言葉に対して、アンダーもオーバーもある
(適正露出とは、作家に委ねられたものだから)
マン・レイの作品に学ぶ
マン・レイ
(フランスを中心に活躍していた画家であり写真家であり、彫刻家というマルチな顔を持ったアーティスト)
カメラを使わないで、印画紙の上に直接物を置いて、パッ光をあてて形をパターンにして作品をつくったり、現像中に光を入れて、白黒を反転させるソラリゼーションなど、思いつくいろんな方法を使って作品をつくって高く評価されている作家。
常々、こういう精神、学びたいと思っているのである。
There is no rule without exceptions.
好きなことを好きにと僕は解釈して、この言葉を好んで使っているのである。